あやまちを伝えると言うこと

続々と発掘される原発の事故。今言っちゃえば一つ辺りの印象薄いよと考えているのか知らんけど、今までの安全性に対する説得力が失せたのは確かです。
事件が隠蔽されるのは、もちろんバレると不都合があるからというのが主要因だと思いますが、従事する人の勘違いがないかな、とも思ってしまいます。

  • ここで事件が起きたことがわかったら原発は国民の理解が得られない。絶対に必要なものなんだし実質問題はないから黙っておこう
  • 些細な出来事をたてにとって廃止を迫る反対派を勢いづかせてはならない

というような。
受け取る側の責任もあります。大半の人は(僕も含めて)長期的な視野にたったエネルギー政策なんて自分で分析したものではなく他者が分析したものを知識として借用しているだけでしょう。本当の必要性の議論なんてしたことはない。
だから上記のような隠蔽が許されるかというとそんなことはありえません。少なくとも人類が20世紀にはいって初めて手にしたテクノロジーなのですから、ノウハウの蓄積が足りない。事故は起こるのは仕方が無い部分もあります。でも安全弁というのは隠されていたら意味が無いわけです。ノウハウの蓄積が安全を生む面もあります。
非常に微妙な問題があるのは理解できなくも無いですが、この体たらくでは日本が「原発を運用するに相応しい国」であるかどうかが疑われても仕方が無いように思えます。こういった細かい事故の積み重ねが大きな事故の引き金になるわけですから、二の轍を踏まないことを至上命題として運用して行ってもらいたいものです。できないなら廃止一択。
ところで、記事をみるためにasahi.comをみにいったりしたんだけど、サイト名asahi.comの癖にwwwつけないとアクセスすらできないのはどうなんだ。普通www.asshi.conmをasahi.comにリダイレクトするくらいのものなのに逆ですらないよ