希望と要求

図書館のカウンターで若い女性がなにやらもめている。どうやら「発売前に予約したはずの本が予約されていなくて100人以上先に予約されてしまっている」ことに不満を訴えているようだ。しかも、今日担当がいないから明日確認する(事実が確認できれば繰り上げてあげれなくも無いということをほのめかしている)図書館員に対して、「どうせ先に借りられないんですよね」とブーたれている。何その婉曲な駆け引き。はっきり言うと断られるのが目に見えているからだろうか。図書館員は結局口に出して「日付を確認できれば繰り上げられるかもしれない」と言ってしまっていた。不愉快になって立ち去ったので結末はわからない。もしかしたら本当はちゃんと予約していなかったのかも知れない。発売前から読みたいような本は自分で買えよ。
公立の図書館なんて多くの人が適当に利用するためのものだ。利用する権利は誰にもあるけれど、特定の人の便宜を図るようには出来ていない。買ってもらえてよかったな、くらいに思っておけばよいのに。
例えば、「先生、お願いです。父を助けてください!」「わかった、全力を尽くします」というのはどう見たって希望に対して努力で応えようという行為であるけれど、不幸な結果に終わったとき「適切な処置を講じなかった」として訴えるとなると、先の希望は実は要求であり、医師は悪魔の契約書にサインしてしまったことになる。ものすごい後付の論理だ。
希望は本人がそう思って誰かに伝えた時点では大抵ちゃんと希望である。しかし希望がかなえられなかったときしばしば先の希望が実は要求であったとされる。こういう論理は詐欺の場面でも良く使われるように思う。なぜ、希望が要求に転化するのか。モラルの崩壊とか、そういった簡単な言葉では言い表せない何かがそこには隠れていると思う。
なんとなくであるけれど、「諦める」という行為が悪徳と見做され、「執着する」という行為が美徳であるとされているような空気を感じる。