クラシックコンサート鑑賞論

あまりシリアスでないクラシックファンとしてはお門違いの話かもしれないけれど、思うところがあるので書いてみる。暴論かも知れない。
のだめカンタービレのおかげでずいぶんクラシックファンの客層が広がった。とはいえ、数々のブームを捨て去ってきた日本人であるからして、油断はならない。僕はクラシック音楽は一つの完成された表現形式として十分に人々に訴えかける力を持っていると思うけれども、一過性のブームに終わる可能性は否定できない。今までだって何度も行われてきたことだ。
もともと、このような音楽は民衆のものではない。というと語弊があるかもしれないけれど、ジャンルによって聴衆の階層が違っていたことはある。今でこそクラシックの枠で括られるけれど、交響曲とオペラでは客層もマナーも違っていたはずだ。これほどの格差社会である現在、しかしクラシックは上流階級の教養であり、保護の対象として適切であるかというと必ずしもそうではない。無論、クラシックが上流階級のものだというわけでもないけれど、(ファンも含んだ)教養人たちの手によって守られているという側面がある。それは尊重すべきなんじゃないかと思う。

場としてのマナー

さて、コンサートにおいてマナーがどれほど重要かというと、やはりその内容によるといわざるを得ない。逆に言うと、内容しだいではマナーを語るのはあほらしい。

  • シリアスなコンサート、ことに現代音楽においてはホールの響きや静寂すらも音楽に取り込まれている。ここでは観客もシリアスにならざるを得ない。ただし、演奏されないことによる観客の焦燥が演奏だというメタ音楽的なものもあるので油断はならない。
  • フォーマルなコンサート、オケの定期演奏会のようなものはやはりある程度のマナーが要求されると思う。この場は大人の社交場としての役割も果たしているわけだから、それに相応しい態度が必要だ。少なくとも、演奏中の私語や出入りだけは慎むべきだ。
  • カジュアルなコンサート、特に子供向けのライトクラシック中心のコンサートのようなものは大いに楽しむべきだ。音楽に対して立ち向かう必要は無い。ただ身をゆだねれば良い。笑いたければ笑えばよいし、泣きたければなけばよいのだ。

聴衆としてのマナー

オーケストラや作曲家にお世辞を言いに来ているわけでも演奏家の自己満足を拍手で充足させるために来ているわけでもはない。

  • 素晴らしい演奏は即座に拍手だ。楽章の合間に拍手が出ても構わない。しかし、人によっては全てが終結して初めて音楽が成り立つと考えるかもしれない。衝突を回避したいのであれば何楽章構成なのかくらいは把握しておいた方が良いかも知れない
  • むやみに拍手すればよいというわけでもない。よさがわからないもの、下手な演奏に拍手をするのは欺瞞である。いや、その拍手はもしかしたら励ましの拍手かも知れない。でも手を叩いたら帰ってブログで貶すなよ。
  • 花粉症の症状が最高潮のときに聞きに行くものではない。どんなにカジュアルであっても周りの人はくしゃみや鼻をすする音を聞きに来たわけではないのだから。

ハードルを上げない、かといって下げるものでもない

あまりまとまりが無い話になってしまったが、結局何がいいたいかと言うと、クラシックは大いに楽しむべき。だけど場を無視すべきではないということ。場も含めて演奏会と考えるべきで、それこそオペラをやるのかシンフォニーをやるのか、はたまた現代曲の初演があるのかなどはしっかりと区別して考える必要がある。だから、クラシック入門者向けのコンサートでは目くじらを立てるものではないだろう。
ただ、日本で生のクラシック音楽、特にオーケストラのものに触れる機会はそれほど多くない。コンサートに行かないと聞けないことも多い。そしてコンサートは敷居が高い。うるさいファンもいる。その上の階層を否定する必要は無いと思う。下の間口を広げることができればよいのだから。カジュアルなコンサートがもっともっと増えてくれればよいと思う。