正常と異常と。

僕は特にid:sjs7氏の一連の議論に異を唱えるつもりはない。でも伝わってないなあとは思う。もう少し上手く書けると良いと思って精進するしかない。以降、ブクマコメントなど含め受けた印象からつらつらと

カウンセラーという存在について

元エントリのリンク先は資格と言うラベルで相対化されたカウンセラーと言うものが絶対的にはなんの力もない可能性があること、またその資格をもってカウンセラーたらんとしている本人がそのことを自覚できない可能性があること、について警鐘を鳴らしているのです。
心を病む人が増えているからカウンセラーになってみたい、自分が同じ苦しみを持ったから助けてあげたい、身近な人をなんとかしていあげたい、というような動機を否定するものではありません。かつてはきちんと臨床心理学を学び、その現実を突きつけられ、夢破れた人も多くいたはずです。しかし、今、いんちきすれすれの、カウンセラー(として働く意思のある人)にとってもクライアントにとっても、何の裏づけも保証も無いような、そんなカウンセラーになってしまう人が増えてしまったら、どんなに不幸なことか。
最後まで、それが不幸な現実であることに気付けない人がいるかも知れない、そう思っているのです。

正常とか異常とか

そんな個別な相対的なことは僕には判断できません。だから、二元論的な話をするつもりはないけれども、ただ一つ、僕が先のエントリで用いた「壊れる」という言葉は、人間が生を求める存在だと仮定した上で、生の欲求がなくなってしまうこと、というニュアンスで書いています。説明は不足していますが。あるいは、死の欲求は肯定されるべきかもしれません。が、カウンセラーを頼ると言う行動が無意識下かも知れ無いけれども生の欲求からなされるものであるのであれば、そこだけは意識して相対しないとだめでしょう。

人間は弱いか

カウンセラーって、既に弱っている他者を相手にするものじゃないですか。その状態って度合いにもよりますが「背中を押す」ことができる状態かも知れません。ホームの端から線路に向かって背中を押して「方向間違えちゃった」じゃすまないじゃないですか。何より人間の弱さを知っているからこそ、きちんと向き合うことができるのではないでしょうか。
その点では、僕のエントリも警鐘以外のところで良くない部分はあると思います。タイトルとか。

何についての責任

医者が患者が死んだことについて毎回責任を取っていたら医者はいなくなります。全力を尽くしても救えないときは救えない。だから、sjs7氏がいう割り切りというのは当然必要です。それでも、内科の医者が「実は俺脳外科手術できるんだぜ」と言って手術に失敗して残念でしたなんていうことはありませんよね、多分。
責任ということは、そういうことだと思います。救いを求めてやってきた人に、その権威としての立場で行えるできるだけのことを、(他のその権威からみたら)単なる不勉強によって果たせないということが、その権威付けのプロセスの不十分さによって起こりうるわけですから。そのプロセスを選んだことすら不勉強の賜物なのです。
もちろん、世の中の職業の大半は不勉強によってトラブルを引き起こしているけれども、主として人の心を専門に扱う職業の入り口が広すぎるのは考え物です。原付を運転するにも免許がいるくらいなのに。

最後に

正直こんなに大勢に伝わることを想定していませんでした。ゆえに、内容について言葉を吟味しきれていないし、また暗黙の了解として文章にしなかった部分もあります。リンク先を引用していないのもその一つとして。
そういった点はもう少し考えた方がよかったと思います。あと、タイトルが人を呼んだ気もします。某ニュースサイトからのリンクはタイトルが書き換わってます。ありがたいことです。ほとぼりが醒めたらタイトルは変えるかもしれません。