冷静と情熱の狭間

河上亮一・日本教育大学院大学教授(教師論)の話 「教師として、職をかけてもやってはいけないことを示す覚悟も必要。児童や親にもその姿勢が伝わったのではないか。最近ではこういう先生はめずらしく、評価すべきだ」
森毅・京都大名誉教授の話 「熱心だから体罰が許されるという話ではない。教師が体罰をするなら辞めるしかないと思うし、保護者らはそれを非難するにしても支持するにしても、もう少し学校と冷静に付き合う手だてがあるのでは」

http://www.sankei-kansai.com/01_syakai/sya060903.htm

ここでいう冷静の意味がさっぱりわからなんだけど、「非難するにしても支持するにしても」てのにかかるとしたら、全員が支持したことを冷静でない、とするのだろうか。それ以外はロジックが通らない。だって森先生曰く、体罰=辞職なわけだから、100%非難すべきというのが本来の意見なんだろうけど、であれば、「にしても〜にしても」と言う話にはならないわけで。あれかなあ、みんなが映画のラストシーンで感動しているところへ来て「お前らは洗脳されている可能性がある。一人でも冷静になって矛盾点を指摘したものがいるのか」と言っているような空気と思ってしまった。
この件に関して、この先生の普段の人となり、それまでの取り組み、平手打ちがどの程度のものだったか*1など、客観的に判断できる材料が無いのでなんとも言えないけど、保護者の反応が全てを物語っているとするのが単純明快な解釈に思える。
体罰ってなんなんだろうね。僕はずっとその問いを「社会とは何なんだろう」という問いのことだと思っているんだけど。

*1:想像すると軽いしっぺ程度の強さか、どんなに強くても蚊をしとめる程度にしか思えないけど、もちろん想像であり断定できない。でも鼓膜がどうとかコメントしている人は正直どうかと思う