どうも書けないね

ずっともやもやしているんだけど、その違和感の正体もわかっているんだけど、僕はそれを論理的な筋道を立てて言語化できるすべを持たないらしい。だから支離滅裂だけど。
とにかく、愛が足りないんだと思う。みんなみんななんていったら怒られるかな。
僕の個人的な思いからすると、言葉遣いとか、空気とか、相手とか、みんな大事で、どんなに冷静に書いていても、あるいはどんなに感情的に書いていても、論理は感情を無視しないし、感情は論理を内包しないわけじゃない。ただ、それをわかった上で表層化されるものが何かというだけであって、それによって僕の根源的な部分が表現できるとも思わないし、しているつもりもなく、やっぱり表に出る部分は思考のある部分をスライスした断面に過ぎない。
だから、他人が書いたものを見るときはそのことを意識しているし、常に同じ断面を見せてくる人はほっとする。解釈の余地がそこにしかないから。逆にいろんな断面を見せてきて、ついうっかり立体的に構築したくなっちゃう手がかりを提示してくる人は怖い。怖いけど、仮想人格ではない人格が垣間見えてそれはそれで楽しい。裏と表の二面しか見えないような人がいちばん面倒。
と、そんなことを言っても別に個人的に付き合うわけじゃないし、そのいくつかの断面は、今そこにある一つのエントリを読み解く手がかりになっているに過ぎない。行間も含めてだけど、結局のところ書いてあることが全て。
それでもやっぱり意思とか意図とかが伝わってくることがあって、それが駆け引きの無い言葉であればあるほど尊重したくなる。受け入れるかどうかは別として。
表現の仕方には好ましい、好ましくないは当然あるけれども、好ましくないことと何かわけのわからない禁止は直接繋がらないはずなんだけど。
愛にも究極的には正しい愛と正しくない愛があるのかもしれないけれども、とにかく何かしらの愛を抱えてないと何もできないと思うんだよね。そして、抱えているのであれば何かしら見えてくるはず。
やっぱり支離滅裂なんだけど、こう、何か根源的な部分についてぶつかること自体はすごく大切なことで、それができないんであれば、その言葉はいつか腐って朽ち果てると思うんだよね。
うーん意味わからないね。どうしてもうまく言語化できない。