ネットイナゴに襲われないためのたった一つの方法
タイトルは釣りです。
簡単な話で、何も書かなければよろしい…ってなわけにも行きませんよね。少なくとも現状のシステムでは、何を求め、どこにコストを掛けるかで変わってくる問題です。
交流を求めないのであれば、単純ですが、とにかく、コメントもトラックバックも掲示板も何もかも必要なく、また、発信するのみで反応を求めなければよいのです。逆に、不特定多数からの反応を求めようとした場合、ネットであろうと無かろうと、何らかのネガティブ反応は避けられません。だから、それをどうフィルタリングするか、になります。以下、全世界に発信することを前提として。
- 反応を全く求めない
- 発信のみ行う
- 他所での反応(ブクマなど)は見ない
- 反応する相手を限定する
- 他所での反応は見ない
- システム的対応
- 厳選した会員にのみ発言許可とか
- コストの移転
- メールなどの宛先を編集者に。編集者がセレクトした反応を著者に
- 自己でコストを掛ける
- 仲間内でしか通じない言語でやりとりするとか
- 反応する相手を限定しない
- 特定ワードでのフィルタ
- コメント・トラックバック承認制
- 手動フィルタリング
- etc...
そんな感じで。いろいろと手段があるわけです。
そして、全世界を相手に発信するのであれば、ネットイナゴとは異なる、純粋な悪意の発露に直面する覚悟が必要だと言うのは、ネットで発信する覚悟と同一であると僕は考えています。少なくとも現在のシステムでは。そして、それを避けえるシステムと言うのは検閲に他なりません。
確かに、理由無く悪意に晒されることは不幸なことであると思います。でも、そのことを人間の理性以上のもので対応しようということは、もっと不幸なことではないでしょうか。少なくとも、不特定多数の人に何かを発信しようとしている人が、「自分は悪意に晒されたくないから世界がおかしい」と述べるとしたら、それは自分のしようとしていることが何であるかを考えていないだけです。
ウェブと言うシステムが、感情を許容するか許容しないかという問題といっても良いのかもしれません。ある一つのルールによってのみ発信することを許される世界は果たして人間の世界として存在する意味があるのかどうか。規律によって感情が規制される世界なのであれば、それはビジネスや、論理的な学問にのみ使われる世界であり、芸術や感情を伴った交流に使われる世界ではないでしょう。