感情の発露〜同情しか認めない!〜

なんで、わかってくれないのだろうか。励ましの言葉なんていらない。今の私に必要なのは、一緒に泣いてくれる人だけ。なのに、なんで。
ブログに連ねた感情は、誰に向けたものでもなく、ただ、たまたま見てくれた人が同情してくれるのをちょっとだけ期待している。でも浴びせられるのは「甘い」「お前が悪い」「馬鹿じゃないか」という罵声ばかり。私の感情はそんなに特別なのだろうか。
疎遠になってしまった親友は、いつも、一緒に泣いてくれた。私の甘えだったのかも知れない。けれども、顔で泣いて心で罵声を浴びせていたなんて事はなかったはず。顔が見えないことが、感情の伝わらない原因なのであれば、確かに私は文章で感情の細かいひだまで表現するほどの能力は無いから、仕方がないのかも知れない。
それでも、私は、同情しか必要としていない。

目は口ほどにものを言い、顔全体、いや、体全体が発する感情を文章に落とし込むことは決して簡単なことではない。
同情を得るためには、共感が必要で、共感を得るためには、同じ体験や同じ価値観、それがないのであれば、相手に対する深い洞察力が必要だ。つまり、およそ同情などは期待できない。共感を求めることは無意味ではなく、ただそれと同量かそれ以上の違う何かがやってくるのを覚悟しなければならないだけだ。