ウェブの本質はアナーキズム?

非常に違和感があったので今更ながら。

でもあれですよね。インターネットの本質がアナーキズムにあるとしても、ここには大杉栄みたいなアジテーターはいないわけです。いやアジテーターも理論家も必要ないのであって、アーキテクチャーそれ自体がアナーキズムというメディアは過去にはあんまりなかったような気がする。本質がアナーキズムである以上、ウィニーキンタマウィルスも、出るべくして出たものなんでしょう。

ネットアナーキズムの時代: たけくまメモ

それ言っちゃうと、PCと言う存在そのものがアナーキズムだと思うし、ネットワークと言う存在は非常に統制的なものでありかつアナーキーなものだと思う。手のひらの上のアナーキズムみたいな?
それはさておいて、インターネットの本質という話は、ここでは完全に今までどう利用されてきたか、という観点でのみ捉えられているけれども、理念とかそういうものをうっちゃってそう語ることには違和感を覚えずにいられない。
ウェブの本質がアナーキーズムと捉えられる一因としては、かつて栄華を誇ったアングラ的な利用形態にあると思うし、それがWinnyなどのP2Pの本来性ではなく、しかしその仕掛けそのものが持つ反体制性によってまだ細々ながら続いている。
でも、本質において言うと、インターネットは軍事的インフラであり、また、商業的インフラであって、WWWが論文の参照を容易にすると言う目的から生まれたこともそれとは無関係ではない。むしろ、その後のインフラへのただ乗りに近いアングラ活動こそがアナーキズムの始まりである。だから、確かにインフラというかアーキテクチャ自身が性善説を根本においてそういう活動を許したことが脆弱性であって、本質がアナーキズムと捉えられてしまう一因であるのは間違いないと思うけれども、当初からそれを意図して構築されたものではなく、全く逆であることには留意しておく必要があると思う。
だから、ウェブのアナーキズム的なものなんていうのは、当初から規制される運命にあるものだ。しかし、その推移を生暖かく見守ることは過度の規制を生む恐れがあると思っている。為政者たちがウェブの危険性に気づいたとき(いや、もう気づいてはいるのだろうが過小評価しているだけだろう)、その場に出ている危険性を備えたものは根こそぎ規制されるかもしれない。と思うと、現在の好き放題されている部分に関して、こちら側から何もアクションしないで放置することが未来の為になるとは思えない*1
かつて、PCがある層の人たちだけのものだったとき、インターネットの仕掛け的な脆弱性性善説的に放置され、21世紀に入って明らかにその利用者層の比率が変わってきたときに、性悪説的に潰され始めたのは、インターネットがその本質に立ち戻って利用されようとしているだけの話であろうと思う。だから、ウェブがアナーキズムなんていうのは新聞がかつては政府を批判する為のものだったというよりもナンセンスに思える。だって起源とか理念とかを考えると全然そうじゃないから。
僕がアナーキズムの何たるかをよくわかっていないから勘違いしているのかもしれないけど、インターネットを単なる通信インフラ以上のものと捉えてこれを語ることは慎重を要する話なんじゃないかな。

*1:高木先生なんかはそういう点でWinnyは潰すべきだ、と考えていると僕は思っているのですが