なぜ対立構図でしか捉えられないのか

ちょっとまじめに反論。詭弁を弄されても。

ネットイナゴ問題の本質を捉えていない方から、ずいぶんと批判されているようです。

Balance-Toi: la_causette

いつの間にか池田先生曰くの誤ったネットイナゴ定義が定着しつつあるようですが…

この問題は、プラグマティックにいえば、如何にして優秀な書き手をブログ界に参入させ、または、引き留めるかという問題です。

Balance-Toi: la_causette

ネットイナゴが参入障壁ということなんでしょうが、実際に、それが障壁になっている、という実例はあるのでしょうか。確かに炎上したりして消えた人がいることはいますが、本当にネットイナゴという、「自然災害*1」が原因だったのでしょか。それともネット赤潮だったのか。どうもその辺の検証をされた方は居ず、常に印象論というか、被害者的言説を持ってしか検証されていないように思えますよ。

しかし、Google等の検索エンジンを通じてデータベース化される領域に蓄積されるべきは、優秀な書き手による優れた考察なのか、匿名でなければとても恥ずかしくて公言できないネガティブな感情の吐露なのかといえば、私は前者なのではないかと思います。

Balance-Toi: la_causette

この考え方こそが、僕が忌み嫌うところの「ウェブの限定利用」に他なりません。もちろん、この言は中間地帯を全く考慮していない、プロパガンダ的な言ではあります。なぜ優れた考察とネガティブな感情の吐露が二項対立するのか。そしてそのネガティブな感情の吐露が優れた発言に向けられているかのように誘導する言説はたぶんに詭弁的ではあります。

むしろ匿名でなければ言えないようなコメントこそ、不特定多数人の目に触れないような閉鎖的な場所に押し込める方が、合理的です

Balance-Toi: la_causette

これもそうですが、匿名でなければ言えないようなコメント=コメントされた側にとって無価値と一律決め込むのは何故でしょう。例えば、99%が無価値で価値があるのは1%であれば、コスト的合理性によって上記のことが言えると言っていいと思います。逆に、50−50のとき、50%の無価値を切り捨てるために50%の価値ある意見を切り捨てることが合理的であるかどうかというと、そうではないわけです。そのへんの検証もなしに合理的だと断定するのは恣意的な誘導です。

(この点において、特定のエントリーに対するネガティブ感情の吐露を当該エントリーの書き手を含む公衆の目に触れさせてしまう現行のはてなブックマークは、そのことによる書き手の更新意欲を減衰させることを回避する他の手段を持たないこととも相まって、言論環境に対する負荷が大きい、非常に不合理なシステムということが言えます。)。

Balance-Toi: la_causette

「特定のエントリーにおけるポジティブな感情の吐露を当該エントリーの書き手を含む公衆の目に触れさせることのできる現行のはてなブックマークは、そのことによる書き手の更新意欲を推進させる手段として、非常に有用なシステム」という側面もあります。小倉先生の上げる点をもってしてのみ不合理と判断されることは根拠の薄い断定です。

なお、「専門家系ブロガーの立場を十分に配慮する」ということは「専門家系ブロガーを批判するな」ということではありません。

Balance-Toi: la_causette

では、その批判とネガティブ感情の吐露をどうやって区別するのでしょうか。あるいは、その専門家が「俺の批判は全て誹謗中傷。俺が正義」的な運用をした場合、その誤りを正す手段として有効なものと考えているのはどういうものでしょうか。「専門家の非専門分野への言及」と「その分野の学生」において、しばしば後者の方が正しいですが、情報発信能力や社会的信頼性は前者の側にあります。そのことを飛び越えることのシステムの提示が必要かと思います。

実際、専門家系や著名人系の実名ブロガーがコメント欄やブログ自体を閉鎖するきっかけとなった粘着君やイナゴさんたちのコメントというのは、大抵の場合、極めてCivilityを欠くものだったといえます。

Balance-Toi: la_causette

これについては同感です。というか、この点のみが本来のネットイナゴや炎上といった現象にあたるものであり、たとえ本人に責が帰せられるべきであったとしても、不適切な攻撃をされたという事実については認められるべきです。だからと言って、それを排除することすなわちはてなブックマークの仕様変更に繋がるかと言うと、そうはなりませんよね。むしろ、上記の炎上などといったものは当該ブログのコメント欄などで起きていて、はてブそのものはほとんど関係ないでしょう。


ウェブという形態の情報発信については、それまでのメディアと異なり、まずエディターがいないことが大きな差異としてあげられます。つまり、それまでの常識に照らして間違っている意見であっても流布することができます。学会などの論文誌はそうは行きません。逆に、その常識に縛られて発表を拒まれた新説も発表できる場ではあります。ただこれらは無条件で受け入れられるべきでは当然ありません。水伝の例を挙げるまでもなく、間違った情報が氾濫することもウェブの特徴です。それを受け取る側のリテラシーのみに帰するのは無責任ではあります。集合知は集合愚になりうるものであり、はてなブックマークは今のところ後者にも前者にも機能しているように思えます。後者が発生するとき、しかし、もともとの発言そのものが愚であることも多いと言う印象があります。この点、ウェブに与える影響はまだポジティブ側に振れているように思えます。これは主観ですし検証されていませんが。

一つ考えて欲しいのは、きくちさんや某小児科医のかたなど*2が炎上したりイナゴの群れに集られたりしていることはないように思えます。それとネガティブコメントを多く付けられる人の差異は一体なんなんでしょうか。ネット上の言説に対して、それが専門家の言だとしても常にポジティブに受け入れることは危険です。検証可能であり反論可能であることが常に必要です。時にはマイナスモデレートする必要すらあります。そのときの対応によって信頼を得ることでウェブの言論人としての評価が定まり、またその言説における信頼性がアップしていく、というポジティブフィードバックもなんども見てきました。専門外だからって適当にモノをいう人がその専門分野についても同じ程度の論客だろうと見做されてきているというのも何度も見ています。
小倉先生が参入障壁と見做しているものは、実際には障壁どころか、もっと厳しい専門家として発言するための資格試験かも知れません。どんなに社会的な評価があっても、それは政治力だったり経済力だったりするかもしれません。メディアへの露出が多いのはコネかも知れません。そういうことではないという事を証明しないとネット上では評価されないのです。
小倉先生にしても、いつもいわんとしていることは非常に共感できる部分もあり、またそう感じている人も多数いると思っています。しかし、その一方で、本来相対する価値観ではないものを二項対立的な構図に持ち込んで一方を批判するような言説についてはいつも批判されています。いつも「匿名批判」と言う同じ主張(そしてそのことは少なくとも今までのロジックでは全てには納得が行かない主張)に行き着いてしまうからかもしれません。是非、詭弁的言辞ではないやり方でロジカルに主張していただきたいものです。

*1:ここでは原義に近い意味で

*2:例が限定的ですが、僕の普段見ている範囲として