批判と嫌がらせ、コンビニ店長の場合

書き手の端くれとして、観測範囲中最も嫉妬する相手、コンビニ店長。何が悔しいかって持ちネタの破壊力とその調理法。一度エントリを書くや瞬く間に大量のアクセスを集める。まあ面白いからねえ。妬むものが出てきてもおかしくはないわな。しかし、引っ越してもすぐまたたくさんのアクセスを集めることだろうね。僕なんてここから離れたら0スタートなんじゃないかという恐れを抱いてしまう。引越し宣言前の記事が僕の記事への言及スタートだったのも何かの縁。また会いましょう。

で、きっかけは増田の執拗な粘着(執拗でない粘着など粘着ではないが)であったわけだが、あれは批判か嫌がらせか。難しいんだよね。客観的に正統な批判、というのがそもそも難しい。「アレが嫌いアレがダメ」の範疇にとどまるのであれば、それが事実に反しているのでない限り、単に嫌がらせとは言いがたい。でも気に食わないものを叩くというのはその内容が正当な批判であっても悪意が入りやすいし(ご多分に漏れず、僕自身もね)、その悪意の部分だけを抽出して中傷だ、ということはできると思う。

でもそういうこまごまとした感情的な部分も含めてコミュニケーションなわけだし、客観的な批判のみが言説として受け入れられるのであれば世界はもっと平和でつまらないものなんだとは思う。そうはいっても、ウェブで文章をものす資格が「打たれ強いこと」であるのも面白く無い。そうすると形成されたコミュニティー対誹謗中傷みたいな構図が生まれ、対抗言論的な「俺のXXに手を出す人非人は死ね」的な言動は出やすい。これを個として捉えると多分にダブスタと理解されやすいけれども、コミュニティーの内向け外向けの行動と考えるとそうではないことがわかる。ただ、どっちの言動もオープンになる結果として区別がつかないだけ。

嫌がらせをしたら嫌がらせが返ってくるのは道理だし、それに対してダブスタだ、という対抗言論?は有効性がないと思うんだけどね。