批判、あるいは罵倒対象と対抗手段

7/8 22:34 追記:コメント欄がいっぱいになった模様です。続きを用意しましたので議論なさりたい方はどうぞ。
「批判、あるいは罵倒対象と対抗手段」の続き - novtan別館


違う文脈で批判されるのは不本意なので、反論しておきます。

最近は、組織的な中傷も多いので放置していても中傷がやまないという事態が増えてきました(流されているネタからするとどうもライバル業者がやっているのではないかという事例は結構多いです。)。また、ネットで匿名で語られていることの方を信じる人も増えてきました。やはり衝撃はライナス学園事件であって、ネット上での誹謗中傷により生徒の大幅減少にまで追い詰められたわけです。

「中傷にはスルーが原則」は今は昔のお話: la_causette

前回のエントリ前々回のエントリで話していた内容はあくまでウェブでのぶつかり合いの話であり、また、その対象は主にブロガー個人対個人のことを想定して書いているのは流れを追ってお読みになっている方はもちろん、単体で読んでもそこそこ伝わるものと思っていましたが、まあ、そういうことです。
小倉先生が例に挙げられているような組織的中傷(ライナス学園の事件では現時点でわかっている話では一人の逆恨みした親が行った誹謗中傷と、それを鵜呑みにした某ちゃねらーの一部の話であり、組織と呼ぶかは微妙ですが)は、事実無根のものも含めそれなりにあると思っていますし、それは規制されてもしょうがないかなって思います。もちろん、それを規制することに伴って様々な副作用はあると思いますので、やり方は慎重に考えなければならないとは思うのですが、その路線が将来ありうるだろうことはずっと述べている通り。

「あれは事実無根です」ということをいくら高らかに謳い上げようが、ネットで匿名で語られていることの方を信じる人には全く効果がありません。中傷に対しては、対抗言論は成立しません。リタラシーの高い人々のみを相手にしていればよい業界はよいのですが、リタラシーの必ずしも高くない人をも顧客としなければならない業種も少なくないのです。

「中傷にはスルーが原則」は今は昔のお話: la_causette

皮肉に皮肉で返したりするのがそのようなリテラシーの低い人の信頼を繋ぎとめる手段であるとは到底思えませんが、それはそれとして、全体としてはおっしゃるとおりですけど、「ネットで匿名で語られていることの方を信じる人」っていう設定がよくわかりません。もし仮にそういう人がいるのであれば、匿名の工作員を送り込めば信じてもらえるのでは?自分の納得しやすい説や、面白い方向に行きそうな説を信じやすい人ってのはいそうに思えますが、匿名だから信じるってのは本当にごく一部なんではないでしょうか。2ちゃんねるで「〜の中の人だけど何か質問ある?」とかのスレでのfusianasan要求は結構執拗です。大して信じてないのでは?
むしろ、「実名がこんなことを言った」ということに対する攻撃の方が大きいような。まあ、どっちもどっちというくらいな印象はあります。統計は取っていませんのであくまで印象として。

また、絶え間のない悪意に晒され、それがネットの匿名集団により囃されることに精神的に耐えられない人々も結構います。といいますか、それが人間としては普通なのであって、ネットでの集中的かつ継続的な中傷を「スルー」できる方が特殊です。

「中傷にはスルーが原則」は今は昔のお話: la_causette

普通の人はネットで集中的かつ継続的に中傷されるようなことはありませんし、それが不適切な言説や、議論の過程による帰結なのでなければそれこそ僕の言う度を越した誹謗中傷で、訴えるべきものなんじゃないでしょうか。そんなものをスルーしろだなんて言っていませんよ。

逆に言えば、匿名さんたちからすると、だからこそ、集中的かつ継続的に中傷を行って相手を精神的に追い詰めてあわよくば自殺に追い込んだり、ライバル業者の営業を妨害しあわよくば倒産に追い込んだりする手段として、ネットの匿名性は保障されなければならないということになるのだとは思います。

「中傷にはスルーが原則」は今は昔のお話: la_causette

小倉先生はこういうモノの言い方をするから信頼されないし、罵倒されるんですよ。何度も言っています。わかっていますか?

  • 匿名さんたちからすると
  • あわよくば自殺に追い込んだり
  • 倒産に追い込んだりするために
  • 匿名性は保障されなければならないということになる

そんなバカな話を言っている人を見たことはありませんし、内心そう思っている人がいるとも思えません。もちろん、人間の考えることですからこういう人がいてもおかしくはないのですが、将来犯罪を犯すことを想定して武器を守ろうとしているだなんてお前は潜在的に人殺しだ!って宣言しているようなもので、それ言ったら死刑廃止論者は将来死刑に値する犯罪を犯すことを想定して今のうちに死刑を無くそうとしていると考えることも出来ますし、司法試験合格者の数を増やそうとしている人は司法のレベルを下げて犯罪を犯したのちの対処を容易にしようとしていると考えることだってできます。バカバカしいでしょ?そんな話。どんだけ陰謀論なんですか。

我が国において、ネットの匿名性を手にしたときに自制心を保てなくなってしまった人が少なくなく、しかも、ネットの匿名社会はこれを自立的に排斥する意図がないことが事実として明らかになっています。

「中傷にはスルーが原則」は今は昔のお話: la_causette

この点については正直なところ、同意せざるを得ない。というか、正確に言うと、事実として、排斥する意図よりも行使しようとする意図のほうが大きいんじゃないですか?ないはいい過ぎでしょう。もっとも、自制心について言うと、匿名性を手にしたことによるというだけでなく、ネットという(検閲されない・やり方によっては一方的に出来る)発言の手段を得たことによるものとしないと、自制心の無い実名の人の存在が説明できませんが。
大体、弁護士の先生が議論の文脈を離れて罵倒合戦しているくらいなんだから、「ネットの匿名社会」ではなくて、「ネット利用者全体が」なんですよこれは。小倉先生の話にしたがって結論付けると、匿名性どころかインターネット(というよりはウェブページ)を個人が使うこと自体、日本国民には早すぎるのでしょう。
反論ここまで。
個人的には文化人の人が雑誌の紙面で罵倒合戦をする自由を未だ確保していることから考えても、議論のうえで罵倒合戦になることがそれほど問題とは思えません。けれども、排斥すべきは事実無根の中傷や、度を越えた粘着であるけれども、悪貨は良貨を駆逐しちゃったり割れ窓が犯罪を増やしちゃったりすることは否めないので、それを何とかするために「キレイなインターネット」を作らなければならない、という意見があることはわかります。承服できないけど。