アドバイスに対する取るべき態度

僕は基本的に自分に対する意見は素直に聞きつつ、でも自分の中で自らの価値判断のもとで採択してきたけれども、それは、僕が意見を求めたのではなくて、あるいは、そうだとしても軽く参考までに聞くという形を取ったからであって、そのときはどんなに自分の価値観に触る意見であっても自尊心も傷つかないし、反発もしない。ネガティブ拡大解釈するのは自分の問題であり、周りにはもう、そう見えちゃっているのであれば、自分だけが納得していればそれでよい、と思っていればいいから。
でも、本当に自分が必要としていて、自分を納得させなきゃならない何かのためにアドバイスを求めたときは違う。自分を守ろうとして怒られたことがある。なんで、受け入れないのって。
もし、前者の類のアドバイスであれば、反発して見せる必要があるかもしれない。俺の考えは違う、お前は間違っていると否定することはそれが事実であり、また、その考えを周囲に伝えなければならないからだ。でも、後者のアドバイスであれば、自尊心などものの役にも立たない。
僕はつい最近、抵抗して、抵抗して、怒られて、自分を見つめなおす機会があった。もちろん、最初から自分の現状が正しい状態である、という自尊を諦めて受け入れることもできたのだけれども、自分がどうやって生きてきたか、そのことを認めてもらいたい気持ちが受け入れることを拒んでいた。けれども、自分の心が抱えている問題の解決には何もならない。そのことを指摘され、立ち向かって、受け入れるか、逃げ出すか。どちらしかなかった。抵抗することで逃げていたし、そのまま逃げても良かった。

意見を素直に受け入れない態度こそが、自尊心の最後の砦。劣等感にまみれた人間に残された数少ない反抗手段の一つであることは間違いが無い。それが人前で、かつ周囲が注目して見守っている中での物であれば尚更であり、寧ろ反発して見せねばならないこともあるというものだろう。

http://d.hatena.ne.jp/hebomegane/20070711/1184086526

これが、どちらの類のアドバイスに対してなのか、そもそも実際の事例について述べているかは僕はわからない。でも、劣等感があるのであれば、自尊心が役に立たないことなどとっくに認識しているだろう。もし、自分が求めていたアドバイスなのであれば、心が疲れ果てて逃げ出さざるを得なくなるまで抵抗するのか、それとも受け入れて前向きに生きるのか、そういう選択をしなければならないだろうし、勝手にされたアドバイスならば、そこまで受け止める必要は無いだろうけれども、それでもここまで感じているならば、同じように考えたほうがよいと思う。その事態を招いたのもまた自分自身なのだから。
僕は自分の脆弱性に対してパッチを当てて逃げていたけれど、たまには不良なプログラムを入れ替えてみるのもいいと思ったよ。