何も書かなければみんな幸せ!

小倉先生のekken氏に対するこの反論は、さすがにちょっとおかしいと思う。何がおかしいかと言うと、どうやれば避けられるかという提案なくデメリットのみをあげて否定しているから。そして、議論に必要不可欠な行動としてekken氏がリストしているのに対して「書き方によっては受けきれない負荷になる」としている点。なぜなら、それはすべてにおいて適用可能なものであり、前提としてそれを置くならば、「全世界の人が納得する言葉遣いの基準と全世界の人が納得する連続投稿の基準」を厳格にシステム化して、そこから逸脱しないようにしなければならないから。そんな世界で有益な議論が進むと思いますか?「俺は1年に1回以上は応答できない。それ以上の要求を求めるのは荒らし」的な人をシステム的にどうやって満足させるのか。そういう提案があるならともかく。

ekkenさんから私について言及していただきました。

僕は以前、「管理人が不快感を覚える可能性のあるコメント」のことをネガティブコメントとし、それを大きく4つに分類しました。(参考:ネガティブコメントガイドライン
1.事実確認(便宜上「第一種ネガティブコメント」とする)
2.異論・反論・批判 (便宜上「第二種ネガティブコメント」とする)
3.誹謗・中傷・侮辱(便宜上「第三種ネガティブコメント」とする)
4.コピペ(荒らし)(便宜上「第四種ネガティブコメント」とする)
何か意見を述べるブログにおいては、上の二つは「避けてはいけないコメント」だと思うのですね。

 1.や2.が「匿名でなくともできる」通常の態様でなされるのであればそうでしょう。しかし、1.や2.だって、言葉遣いに問題があったり、生活の片手間にブログの維持管理を行っているに過ぎないブログ主がおいそれとは応えられないであろう分量の投稿を行ったり、ブログ主が誠実に対処しても同じことを何度も何度も繰り返したりすれば、それは立派にハラスメントになります。ハラスメントになるようなコメントはなるべく避けなければいけないのです。

ekkenさんはブログ主に課すハードルが高すぎる。: la_causette

通常の態様でなされるのであればそうなのであれば、少なくとも「通常の態様でなされることのできるシステム」でなければならない。じゃあ、通常でないことをどのように検出するのか。言葉遣いや分量の問題なのか。そもそも、1〜2ができなければ議論する資格が無いですよね。それは認めていると。応答する義務、と言うのは、応答するべきポイントに適切にすればよいだけであって、同じ事実確認に対しては1度回答すれば足り、議論をループさせるようなウンザリ発言は、ループしていることを指摘すれば足ります。もし、期待している読者層と、書き手の高い知的レベルが一致しているのであれば、どちらが正しいかを判別するのにはそれで足り、結果として荒らしになっているものは淘汰させるはずです。それが可能で無いならば、書き手として議論するに不十分な論しか提示できなかっただけです。

もちろん、匿名の陰に隠れて人に嫌がらせをすることを数少ない生き甲斐の一つにしているコメント投稿者に「嫌がらせを止めろ」と言ってみても自主的に止めることはないのでしょうが、

ekkenさんはブログ主に課すハードルが高すぎる。: la_causette

いつも、こういう極端な設定をなされます。言葉遣いや回数が場合によっては負荷になりうる、の話が嫌がらせに転化しています。たとえ内容が1〜2への回答を強いる嫌がらせ(回答できて無い時点で他人を嫌がらせ認定する資格があるか僕には疑問ですが)だとしても、その人を「理由を挙げて」アク禁にすればよいのでは。それも立派な1〜2への回答です。

したがって、結局のところ、匿名でないと恥ずかしくてできないハラスメントがコメント欄でなされるのを見ていたいのか、そのようなハラスメントが横行する環境では投稿されない質の高いエントリーを見たいのかという選択を、システムサイドとしてはしないといけないわけです。

ekkenさんはブログ主に課すハードルが高すぎる。: la_causette

また話が意味なく展開しています。思うに、小倉先生の1〜2に対する反論は、そのまま「実名でも(結果としてブログ種にとっての)嫌がらせが抑制されない事例」にあげたいくらいです。何故急に匿名によるハラスメントの話になるのか。ここで「したがって」という論理展開を行っているのは間違いです。1〜2に対して議論の本題ではない、起こりうる事象を前提におき、ハラスメントを話題の主に置き換えるのは議論のすり替えです。

前者が優先されている限りにおいては、ブログなんてものは、低レベルの罵り合いが横行するだけの、情報源としては価値の低いメディアになりさがるだけのことです。電子掲示板が転げ落ちた道と同じ道をブログも転げ落ちていくだけのことかもしれませんが、日本人は「Web2.0」環境を、特定人にハラスメントを行ってストレスの発散を行うための道具としてしか結局活用できなかったというのでは何とも寂しい限りです。

ekkenさんはブログ主に課すハードルが高すぎる。: la_causette

道具として転げ落ちていないものが一切無いことを証明されないまま、というと悪魔の証明じみてくるので、大部分の掲示板において前者が優先されていることで低レベルの罵りあいばかりが行われていると言う統計データなりを示されないまま、としましょうか、日本人全般に適用し、仮定として「活用できなかった」ことをもってさびしく思うのは先生の勝手ですが、意見に対する反論にはなっていません。
順序前後しますが

「嫌がらせくらい甘受せよ」「嫌がらせを受けたくなければコメント欄を閉じよ」と言ってみたって、有益なコンテンツを発する能力を有する多くの人はそのような窮屈な思いを覚悟してまでブログに参入してくれることも期待しにくそうです。なかなか、洗礼者ヨハネのようにはいかないのです。

ekkenさんはブログ主に課すハードルが高すぎる。: la_causette

結局、議論が嫌がらせに帰結してしまっています。1〜2が「本人の受け取り方次第で嫌がらせになる」前提を置いて「嫌がらせを甘受せよ」という主張であるとするのであれば、先に述べたように人の主観に全員が納得いく線を引くことはできませんから、ウェブどころか、大上段から「自分が権威であり、法である」ことを主張できる人で無い限り、情報発信など出来ませんし、そこで議論ができることもありえません。というと言いすぎだな。議論が出来るかどうかはその人自身に依存します。でも、リアルワールドでそんな立場を持たなくても情報発信可能なのは何故でしょう。
誰でも、手軽に、というウェブの構造が現実世界よりも嫌がらせを誘発しやすい、という点は理由として挙げられるかもしれませんが、それを理由にするのであれば、誰でも手軽にという利便性とのトレードオフである、ということを理解したうえで、嫌がらせされないことを優先したと言うことです。その選択に異を唱える必要はありません。システムのせいでもなんでもなく、仕方が無い、ということです。人間がえら呼吸できないようなものです。
本当に当初からの目的が嫌がらせである、という荒らしについては先に述べたように、読み手のリテラシーによって回避可能です。だから、1〜2を嫌がらせと受け取る、という前提で書いています。
情報を発信し、議論する目的が、発信者の幸福感を満たすことであれば、むしろ何も書かないほうが幸せですね。何かを賭けて人に伝えたいことがある人が情報発信をすればよいのではないでしょうか。もし、苦難を乗り越えたら何も書かないことよりも多くの幸福感が得られることでしょう。