僕が小倉先生に反論する理由

何度か書いていることの繰り返しになりますが、僕は小倉先生の考えている主題であるはずの「ネットでの誹謗中傷などの迷惑行為を無くそう」という点について異を唱えるつもりは全くありませんし、むしろそこは積極的に支持したいと思っています。
じゃあ何故反論するかと言うと、一つには事あるたびに「匿名が原因だ。全員実名にすれば抑止力が大幅にアップする」という主張をなされること。僕はこの点については実名であることのハードルが今の日本の社会にとっては高すぎるため、到底首肯出来ません。
小倉先生の共通ID構想は、それほど間違っていなく、ただ、実現方法としてはあまり現実性が無いので、そこについてもう少し踏み込んだ提案をみんなで行っていく必要があると思いますが、結局「匿名実名」という対立構図で話されている間はそこの対決部分のみがクローズアップされて、双方の立場から極論での議論が行われているだけになってしまいます。
もう一つは、議論がすりかわること。誰も極端な事例ではなく、原則論を話しているというのに「嫌がられと受け止められるから匿名のコメンテーターをなんとかしなければならない」の話になってしまいます。いつも。何も書かなければみんな幸せ! - novtan別館だってそのことについての話ですよ。程度の問題でしか話せないことを本題に持ってくるのは意味がありません。環七が40km制限(西側ね)なのが遅すぎると思っている人が大半なのに「20kmだってスピード出しすぎだと思う有益な商品を満載した軽トラックが走れない」なんて言っても「じゃあ他の道走れば」と言われるのが関の山です。
嫌がらせのハードルを限りなくあげることになんのメリットがあるのでしょうか。先生の意図が「こんなことは嫌がらせに認定されるからやめましょう。みんなで平和なインターネットを作りましょう」なのか「嫌がらせの線はここに引くべきです。これは一般的に認知されるから訴訟に勝てます。相手は実名だからすぐ身元がわかります。あ、弁護依頼は是非私に」なのかこのままではわかりません。もちろん後者であるなんてことを疑っているわけではありませんが、執拗に匿名を攻撃する議論にもちこんでいるのはそう捉えられてもそれほどおかしいことではないんじゃないでしょうか。
立場上、極論を持って、議論されるのは間違いではないと思いますが、なんでも匿名悪に話を持って言ってしまうと僕としてはそうではないと言わずにいられません。