Webで書くことについて(1) 集合知ってなんだろう

小倉先生がまた匿名のカスどもの発言は集合知にとってノイズであると公言されていますが、集合知の「知」って「叡智」のことではない。
そもそも、集合知そのものに知の価値判断はないんじゃないかなあ。集合であることが大事であって、これを出来るようにしたのがウェブの世界。既存の集合は、集合させる時点でフィルタリングされる(学会誌とかね)わけだから、一般に流布されるものは生の情報ではない。これは別に悪いことではないけど。フィルタリングされた時点で「叡智」に一歩近づくわけですよ。一方で、ウェブでの集合知というのは、know howでありknow whoでありknow that。しかも正しいかどうかすら定かではない。Wisdomではその時点ではありえない。
だから、もともとウェブはノイズの山なんですよ。匿名だろうが実名だろうが、ノイズを発することを制約される必然性はない。じゃあ、なぜウェブで集合知集合知って持てはやされるかというと、そこから宝を引っ張り挙げる技術があるからです。それがGoogleであったりSBMであったりする。あるいはその他のWeb2.0的仕掛け。それは、リテラシーのある人にとってはウェブの叡智に匹敵するし、ない人にとっては依然としてノイズの山なのだろうし、そう言ってしまえば、ウェブ格差社会の根本はそこにあるとは思う。だから、情報リテラシーの格差を無くすために、ウェブに書くべき情報は、予めフィルタリングされるべきだ、という話ならまだわかるんですよね。そこには匿名も実名も関係ない。でも、そのフィルタリングって誰がするの?恣意的にならないの?
この最後の問いかけこそが、ウェブの集合知が叡智になりうる最大の要因であると思っています。
今、団塊の世代の引退で、会社にあった暗黙知が失われることを怖れて、業務の見える化なんてのが流行っているけれども、何が必要な知識で、何が不要な知識なのかってのを判断しても、そこでフィルターされてしまった本当は必要な知識が失われてしまうことがある。そういうのも、要不要を問わず、片っ端から叩きだしていかないといけないし、叩き出されたものを後でより分ければいい話なんですよね。
つまり、より分ける作業こそが新しい時代の知の重要な要素であって、難しいところでもあります。このことは、受け取り手のキャパを超えるリテラシーを要求するかも知れない。だから、依然として権威はいるべきだろうし、それを必要としない人も出てきてよい。でも、Googleのような特定のものが実質的な権威として作用することはあまり望ましい未来ではないかも知れません。ただ、既存の権威から解き放たれた知的構造として、ウェブが今ここにあるというのは僕には確かなものに思えます。
このへんも参考に。
http://d.hatena.ne.jp/pbh/20070806/1186365170