ATMが止まっていいわけないだろ

この人はIT化をする目的を履き違えた意見を言うべき立場ではないと思うのだけれども。業界全否定に近い。
銀行がかつてなぜ15:00に閉まって深夜までお金が1円も狂わないようにしていたか、と言うことを考えると、IT化の果たした役割は大きい。もちろん営利企業としての銀行に求める話として、1円たりとも勘定をたがえない事を我々消費者がずっと要求していたかと言うと、そうではないけれども、そういった姿勢が日本での銀行に対する信頼につながっているし、それを何度か裏切ってきたためにより一層システムによる不正の防止が求められているわけだ。

浜口氏は、一時も止めてはいけないシステムとして航空管制システムを例に挙げた。刻一刻と移動し続ける航空機を監視するシステムが障害で止まれば、多数の乗員乗客の生命が危機にさらされるためだ。
その一方で浜口氏は、「大手銀行のATMがシステム障害で30分止まると、(新聞やテレビは)大問題として報道する。だが、本当に止まってはいけないのだろうか。30分でだめなら、何分だったら許されるのだろうか」と疑問を投げかける。「日本という国は欧米と比べ、こと信頼性に関して見る目が厳しい。その日本人の要望に応える形で、システムの信頼性は高水準の領域に達している」。

「銀行のATMは、本当に止まってはいけないのか?」、JISA会長の浜口氏が問題提起 | 日経 xTECH(クロステック)

そうではない。ATMは既に社会インフラであり、止まると(間接的に)人の命を奪うことになりかねない。あるいは、先日のような相場の急変状態のときに、システムが止まっていてマーケットに追随できないことが経済の崩壊の引き金になる事だってある。
日本の銀行は、オンラインが止まってしまうと業務が回らない程度には効率化されている。ビジネスモデルがオンラインありきであり、振込みが間に合わなくて不渡りが出るような事態を考えると、少なくとも営業日日中にATMが止まるような事態は社会問題といってもよい。そして、それは社会インフラの問題であるから、そこに依存した社会が出来てしまった時点で後戻りが出来ないのですよ。
止まってもいいじゃない、という発言は、つまり、効率化を一部やめて、手運用を出来るだけの人員を、何年に一回起きるか起きないかの障害のために雇い続けましょう、という発言と言ってもよい。言い過ぎかもしれないけれど。
ここで僕が言っている「止まらない」と言うのは、迅速な復旧(つまり、障害時の運用)を含めたシステム全体の話で決して「障害を絶対に起こさないシステム」の話ではない。銀行システムにおけるあるべき信頼性のレベルがどこか、と言うと社会におけるポジションを考えると決して今の水準が間違っているとは思わない。


と、まじめに話しつつ、ちょっと思うのは、銀行はもう少し適当でもいいかな、ということ。お金を扱うということに過度に神経質になっている気はする。ただ、それで銀行と顧客が上手くやっていくためには、「人」を信頼しなければならないし、そのためにかかるコストは今の生活様式ではちょっと大きすぎるような気がするので、システムを信頼したほうが楽と言えば楽なわけです。上の話は、今、社会の一般的な認識として銀行に求められている信頼性、で語っているし、JISA会長の発言は、社会システム自体が堅すぎるんじゃないってことを言いたいのかもしれない。
でも突き詰めていくと、手運用した経験のある人が減っていく中で、障害が起きたときに手運用に切り替える仕組みを作るよりも、堅いシステムを作るほうが結果としては楽な気がするな。
ちなみに、手運用に切り替えず、止まったまま待ってればいいってのは無しで。その銀行を使っていたと言う不幸を受け入れろ、と言うのはシステム屋としての態度でもないし、銀行自身も許容し得ないでしょう。