無理解が生むもの

世の中は色々なもののバランスで出来ていて、そのバランスが崩れたことを多少なりとも理解しないことには社会のバランスは元に戻らない。バランスが崩れたと言う事実を知らしめるべきは、メディアなり、当事者なりであるけれど、一方で、そのバランスが自らを有利にする人々がさらに天秤を傾けようと仕向けたりもする。あるいは、バランスが取れているときの、つまり、ある程度理想的な状態に近い時に適用できる原則論をそれが原則であることだけを理由に、すなわち今直面している現実と言う状況を全く考慮せずに唱えることで、バランスを取り戻す施策を非難したりする。
無理解が、生むものは、まず諦め、そして逃亡、あるいはテロだ。
医療問題におけるテロ行為…というと言いすぎだとは思うけれど…は、ストライキだ。医師がストライキをすることによって世の中が受ける影響は計り知れない。しかし、もしそんな事態が起こったときに、医師の身勝手さのみを責めることが出来るか。いや、それはできないだろう。一人一人には罪が無いかも知れないけれども、その積み重ねによる世論がそれを起こしたのであれば、民主主義社会の一員としてある程度の責任を担うのは当然であろう。ましてや、直接間接でこの問題に関わっている人は。
経験したことがない事態は、一回思い知らないと実感できないのかも知れない。想像力の欠如、と簡単にいうことは出来ないかも知れないけれど、でも、起きる前に、少しでも理解する努力をできればいいのに。問題は、こういったことを危惧する層と、実際に問題を起こす層が全く異なることなのだろうね。しかし、その片棒を担ぐ層は、危惧している層と被っているはずなのだけれども。