行為と技術

この話題を書くと、兎に角リンクは自由なんだよ、文句ある? というような突っ込みが予測されるので、補足。ここでは Web 技術の話をしているのではなく、人間の行為を取り上げています。 冒頭にも書いたように、両者は区別されるもの。 私の主張を否定する場合は、悪意に基づく行為は社会的にも許される──それが原則である事を証明して下さい。 むしろ、こういう反論の方が嬉しい。 両者を適当に混ぜた「議論」には、申しわけないけれども付き合えません。

人間の行為 - Weblog

「行為」という言葉も客体であり、「意思」が正解なのではと思う。
リンク先がリンクされることを嫌がる、ということと、嫌がられても「善意を持って」行うということも分けて考えることができない以上、技術とそれによって可能な行為は分けて考えるべきではなく、その行為にいたる人間の意思が悪であるか善であるかなどを状況依存で都度議論すればよいのではないかと思う。原則論において個々の事情を斟酌する必要はなかろう。
と、僕は考えた上で、あえて原則論以外のところを問いかけているつもりではあります。あと、「悪意に基づく行為は社会的にも許される──それが原則である事」を証明する必要がなぜあるのかさっぱりわかりません。社会というものが一定以上の悪意を許容しないためのものである以上、それが「原則」であることはありえないから、反論は受け付けません、と言っているのに等しい。
悪意による行為」と「善意による行為」を定義して語るのであれば、それは人間の善悪の問題であり、それを技術の話と切り離して考えるのは当たり前だけど、善悪を問わない「行為」が論点になっているときに、それを切り離すことの提言は、客観的に見て正しいのだけど、それは議論に参加しないっていう表明に過ぎないと思う。だから、蛇足なのかもしれないけれど、これを書いた時点でその前の表明が無効になってしまっているようでもったいない。
あと、ブクマコメントでb:id:himagine_no9氏が書いているとおり、「悪意に基づく行為は、現行の法律いかんに関わらず許されない」の否定は「悪意に基づく行為でも社会的に許されることがある」が正しいように思える。