会社の余剰金は株主に還元しないといけないのかな。

ブルドックソースの判断が本当に会社の為になったのか、ということについては議論の余地があると思うのだけど、とりあえずスティールパートナーズは損をしていないどころか儲かっているのだから、そこから先の話として。
ブルドックソースの件についての僕の感想は「上場しなければいいのに」に尽きるのだけれども。

「株はその会社が発展するために売買しなくてはいけない」とでも言うつもりなのか。会社の発展ではなく、自分の利益のために売買することは、いけないことなのか。この判決文を読むと、「ブルドックソースの株を買う人は、すべてブルドックソースの発展を考えて売買しなくてはいけない」と言われているような気がしてくる。

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/a/96/index1.html

ソース会社に攻めの経営が必要だとはあまり思わないから、発展と言う言葉はちょっと的外れだと思うのだけど、それはそれとして、みんなが「ハゲタカ」に感じている違和感は「資金が余っているなら株主に還元しろよ」といいつつ、自分がその当事者になるべく資本を投下して、回収していく事なんじゃないかと思う。例えば、僕がブルドックソースの株を買ったら株主として、当然そのような主張は出来るけれど、当然数の論理で採択されない。それをするためには、要求できるだけの株を買う資金が必要だ。一般投資家にはそれはない。だから、指をくわえて見ているか、株を買わない。と言うような類の会社は、実体としては市場から資金を調達する必要がない。上場企業でありたいが為に上場しているようなものか。
その還元されない資金は、だから、昔ながらの持ち合い型経営の会社において、「あえて要求してこなかった株主の利益」であって、それを我慢してきた人たちで分け合うならともかく、外からやってきた奴らに分け与えたくない、というようなものだろう。こつこつ手入れして、マツタケが生えるようになった山を「集めて売れば利益になるんだから」と地権者に山を売らせようとするような…ちょっと違うか。なんとなく、投資と言うよりは、収穫の時期にだけ現れるお代官みたいな。
もちろん、会社が資金を溜め込んだままにしておくのは市場にとってはマイナスだし、いいことだとは思わない。分配するのが嫌なら、株を買い取って上場をやめてしまえばよい。その行為もある意味分配であるから、やりたくないのだろうけれど、上場企業として市場を利用しているのであれば、それなりの経営責任というのもありえるんじゃないかな。
でもって。

守るべきなのは、守る価値のある会社である。もし守るべき会社となれば、優れた経営者を連れてきて、会社を正しい道に導いてもらう。それが近代的な考え方だ。

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/a/96/index4.html

価値判断をどこでするか。金額に対するリターン以外のところに価値を求めてはいけないのか。費用対効果に見合わない文化的活動を行うことは株主に対する不実なのか。

彼らの目的は何か。それは明らかに「自分の利益」のためだろう。チャリティーでやっているわけではない。将来、株価が上がって、利益を得ることを期待して買っているのだ。その点では、彼らもスティール・パートナーズと何ら違いはない。利益目的で株売買をするのは、当然のことだからである。

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/a/96/index1.html

というわけで、みんなみんな「自分の利益」のためとは限らない。いや、利益なんだけど、その利益が必ずしも「お金」である必要はない。と言うのが、日本のなんとなく違うなってところかな。
これは勝手なイメージかも知れないけど、外国の金持ちは、利益を少なからず文化とか貧困に対して還元しているように思える。だから、日本から奪った金を日本に還元してくれるならそれなりに支持されそうだし、逆に日本のファンドであっても「甲子園は土地が高いから売るべき」とか言ったら総スカンだろうし。
古くからの日本的経営は、市場にとって悪、と言うのはそうなんだろうけど、じゃあ市場を潤すのが会社の使命か、というとそうでもないだろうし、何が正しいのか、僕にはちょっとわからなくなってきました。
会社経営における正義とはなんなのかな。