著作権延長を情に訴える人がいるのはなぜだろう

はっきりいって逆効果だと思うのです。

三田誠広委員は、「谷崎潤一郎江戸川乱歩横山大観などはあと数年で保護期間が切れる。彼らの遺族が受け取る著作権使用料は、それぞれ年間100万円を超える額だ。これらが突然切れるのはショッキングなこと。遺族の権利を守りたいし、それが作家のインセンティブ向上をもたらす」と、従来の主張を繰り返した。

著作権の保護期間延長問題、権利者側への反論相次ぐ――文化審 | 日経 xTECH(クロステック)

ショッキング、という言葉を使うと言うことは、同情してくれ、という意味なんだろう。けれども、僕らがそれを聞いたときに思うことは同情ではない。不労所得で生活できることに対する嫉み、そして、それをいつまでも引き伸ばし続けることに対する呆れだ。
こういうかもしれない「大富豪の子孫と一緒だ」。そうではない。大富豪の子孫は、その資産を形成する時点において、世の中から搾取したのかも知れないが、相続した財産そのものが継続して世の中から搾取することはない。少なくとも、ノーリスクではない。
切れることがわかっている著作権が切れ、収入が減ることにショックを受けるなんてどれほど世の中に甘えていると言うのか。「俺、明日から定年で給料もらえなくなるんだってよ!」「えーっ!!!」なんて話聞いたことがあるか?ないよね。
遺族の権利を守ることが作家の労働意欲の向上に繋がる、と言うのはあながち間違いではないだろうけれども、市場が一定である以上、収入の向上には繋がらないかも知れない。むしろ、競争の激化により売れるものしか書かなくなるかもしれないよ。著作権法は文化の発展に寄与するためにあるのであって、作家の収入を保証するためにあるのではない。
結局のところ、商業作家は商業作家であり、マーケットの原理に従う必要があるのだから、本来、お金儲けの部分は著作権法とは別のところで解決しなければならない問題だ。著作権が切れたら印税が無くなるってのも、継続して払うことを禁じているわけではない。商品力が十分にあれば、貰い続けることができるかもしれないよね。
とにかく、みんなは「不労所得羨ましい」と思っているんだから、情に訴えるのは逆効果だろう。