農耕的サラリーマンと狩猟的サラリーマン

なんてことを考えた。高度成長期に自らの気質とは関係なくホワイトカラーの道を選んだ人々が農耕的安定&不作保険的組織を作り上げて今に至る、みたいな。自由化という名の黒船がやってきて、そのやり方は国際標準じゃない、みたいな。
狩猟民族的ヒエラルキーの頂点にホワイトカラー的世界があるとしたら、日本のホワイトカラーは多すぎるんじゃないのか。もし、そうでないとしたら、世界進出をしないといけないだろうし、現にそうやってきたんだろう。その過程で、ますます働き手には狩猟民族的な要素が必要になってきているのに、農耕民族的発想から経営陣が抜けられないとしたらまあ上手くはいかないのかもしれないね。
といいつつ、本当にそういうタイプの経営を我々は求めているんだろうか。リスクを犯して一回のゲインを多くすることよりも、安定的なゲインをみんなで得よう、というのが我々うちの大部分の気質のような気がしなくも無い。あるいは、人間が多くなりすぎたら同国民でも争いあって殺しあえるのが昔の日本人だったのかも知れないけれど…日本の相対的面積が小さくなってみんな仲間のようになっちゃったからそれは現代にはないかな、どうかな。