議論の対称性マッチポンプ

最近長々と議論を続けながらその実一歩も前に進んでないという状態で堂々巡りなのを良く見ます。なんとなく共通点を見出そうと思って眺めているんだけど(もはや内容そのものには興味なし)なんとなくわかった。
そういう議論って設定対設定の問題になっているんだけど、片方は気付いていてそれを軌道修正したいんだけど、もう片方はそれが論点だと思っている。藁人形メソッドなんかもそうなんだけど、ちょっと違うところで議論の対称性マッチポンプメソッドなんてのがあるように思えてきた。元々非対称性のものを持ち出してきてあたかも対称性があるかのように語ることで話がずれる。
これは、たとえ話に失敗したときにも良く起こったりするんだけど、どっちかと言うと、最初に言ったように設定の誤りのことが多そう。更にこのメソッドにもいくつか(ぱっと思いつくのは二つだけど)種類があって、

  • 元々対称性のないものを対称性があるとして扱う
  • 程度の問題で対称性を持つものについて、程度を恣意的に引き上げる

と言う感じですね。前者は例えば、無断リンクに対して原理的に防げないこととマナーの問題を同列に扱ってみるようなもので、後者は例えばリンクするという行為と人を殺すという行為をどちらも同じく取り返しがつかないことになるとしてしまうようなものですね。
このメソッドは自分で適用しようと考えて実践されるようなものではないことが多くて、気付いちゃったらむしろ藁人形メソッドの方に倒れるようにも思うので、メソッドというのはちょっと違うような気もしますね。罠、なのかな。とにかく一度ここにはまり込んでしまうと、対称性に固執し続ける限りは堂々巡りが続くわけです。当然議論の相手はその対称性はおかしいということを攻め立てるわけですが…前提を責められていると勘違いしてしまう*1ので、反発されることが多いですね。
そんなわけで、特に上で挙げた後者のものについては、たとえ話の使い方を間違えるとさっくりとはまってしまうので、気をつけようと思うのでした。

*1:その時点ではもう前提が入れ代わっているから勘違いでもないかもしれないけど