明文化されたルールと、本当のルール

一連の食品の表示偽造問題について、わりと同情の声が出る。もったいないの精神から言うと、それはそれで正しい。だって食べれるしね。もちろん中には本当に食べても大丈夫?っていうのもあるだろうし、たまたま事故が起こらなかったり、原因であると認知されていなかった可能性はある。それこそ、消費期限内だからこれは原因でないって思われて見過ごされちゃった可能性だってある。死人が出てなきゃ良いけど。
でも、「みんなやっている」「ちょっとくらいは大丈夫」って言うのは、実際にそうだったとしてもあくまで暗黙のルールであるべきであって、それが前面に出てきてしまったら、どうしようもないよね。じゃあどこのレベルで明文化するのよって話になって。だから、今回の色々な件については、ルールを逸脱しているのはすべからく糾弾されるべき。あまりにも酷い逸脱から大したことのないものが被害を受けるのはある意味当然で、それは暗黙のルールの段階で、酷い逸脱に対する自浄作用をもたらすことができないのであれば、全体をいったん締め付けるしかないよねってことなんじゃないかなあ。
暗黙のルールが本当のルールで、それは明文化されていないから、柔軟性もあるし、上手く運用されている限りは(それこそ談合なんかもトータルで見れば必ずしも悪でない場合はないかもしれない。わかんないけど)、問題ないんだけれども、あくまでもルールはルールであって、というかモラルと言うべきなのかもしれないけれども、度を越えた逸脱を行うことがあれば構造を変えなければならない。