どうにもニセ科学批判批判みたいなのには納得できませんが

そんなに科学って言いたいんであれば、科学であれば良いのに。
ニセ科学批判を批判する人って、今の科学が絶対ではないみたいな言い方をすることが多いですよね。すごい矛盾なんだけど、今の科学でわからないことは科学ではないわけですから。もちろん、未来の科学ではわかるかもしれない。それまではトンデモ扱いされるかも知れない。でも科学的思考法で言うと、今証明できないことを「科学的である」と言い切ることは不能なわけです。
仮説として、証明できる予感があったり、理論を演繹していくとどうも本当っぽい結論が出た、と言うのはボーダーラインとしてあるけれども、大体ニセ科学の大半は神秘的な手法を用いて証明されていることが多いです。ここでの神秘ってのは科学的手法じゃないって事ね。データを選別して有為な結果を出したりとかね。
前にも書いたけど、仮説そのものじゃなくて、そういう思考方法を科学と言ってしまうことが批判されている、ってことにどうしても気付けないかわいそうなニセ科学論者がいっぱい居るわけです。多分、そんな中でも見るべきところのある仮説はあるのだろうし、その証明が科学的ではないことを指摘されて怒るよりもどうやって検証していくか考えた方が世の中の役に立ちそうなものはいっぱいあって。ていうか、現在科学的であると認められているものの結構なものは、その理論がトンデモと言われようがなんとしてでも科学的に検証してやろうと思ったことから生まれているんじゃないでしょうかね。
つまり、ニセ科学であり続けることは、アイディアにとっても不幸だし、非生産的なものなのですよね。方法論を革めれば無限の可能性を秘めているものもあるというのにね。