喜びと妬みと悲しみと

たとえ誰かの行為に対抗するための行動であっても、持てるものの過剰な誇示は気持ちのいいものではないかな。
たとえそのメッセージが特定の人に宛てたものであっても。心に触れた大抵の人はそれでもスルーしているだけだ。
どこまでが過剰だなんて僕には決められないけれど、共有してもらいたい喜びや悲しみが、わからせたいというものになってしまったら、それは過剰なんだろう。他者の悲しみはあまり喜びは引き起こさず、怒りにはなるかも知れないけれど認識のギャップは起こりづらい。でも過剰な喜びは容易に嫉妬や悲しみを引き起こす。そして、他人の幸せを喜べないことが自分を苛む。
喜ぶことは、大いにすべきだし、幸せはわけて欲しい。でもそれを対抗言論として行うならば、過剰でないことを、僕は願う。