ネガポジは主観だと思うのでつけた人にとってのポジディブコメントがネガティブな議論を誘発することだってある

そもそもネガティブコメントを書かないなんて主張は書いた人が「俺はネガティブコメントのつもりで書いたんじゃない。だからお前は反応(反論)するな」と言っているだけにしか思えないんだけど。

ではなぜ私は「議論になるかどうか」にこだわるのか? 相手に反論の機会を与えるための平等主義で言ってるわけじゃない。単純な話だ。繰り返しになるが、私は議論が好きだからである。

SBMのネガコメは「言わせてもらうが反論するな」メソッドだ - すちゃらかな日常 松岡美樹

議論と言うのは必ずしもそれを誘発した人本人とすべきとも思っていないので、この理由についてはあまり同意できない。

【価値観A】 オレは言いたいことを言う。だけどお前はオレに反論するな。

SBMのネガコメは「言わせてもらうが反論するな」メソッドだ - すちゃらかな日常 松岡美樹

と言う価値観と、SBMネガコメをすることは全くイコールではなく、たまたま手段としてそれを選ぶと言う人がいるだけ。例えば、
【価値観B】 オレは議論しにくいからSBMでは議論を誘発するコメントはしない。だからお前は反論するな。
としてみよう。
客観的に見て、AとBを区別する要素は本人の胸のうちにしかないような気がする。つまり、常に前置きしてからでないとそう思っていても無駄なんじゃないかと。
SBMが一方的な放言である、と言うのもツールとしての捉え方の問題に過ぎず、現にはてブにレスって議論を成立させている(コメント欄に呼び込んだりもする)人だって沢山いるし、声高に自分の価値観を叫ぶようなことでもないと思ったりするのですが。