続続・「いい話」は思考能力を奪うよね

なかなか盛り上がりますね。てことは、なんとなくみんな同じようなことを感じていたということでしょうか。ブコメ等に触れつつ。

mahal 社会 こういう意見に同意したい面はあるんだけど、じゃあ講談調のトンデモ歴史を信じ込んでいた江戸時代の人たちは本当にアホだったのだろうか?みたいな疑問もなくはない

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なんども書いているんですけど「現代人として」なのですよ。カメラを怖がる明治期の人を笑おうってわけじゃないのです。
ちなみに、「いい話」ってのもなかなか難しい言葉です。自分に都合の「いい話」だったりすることもあるわけで。
たとえば。「わしゃ戦時中は中国で戦っていたんじゃがあるとき病気の母子を助けて云々」って話を聞いて、「確かに戦争は悪かったかも知れないけど人道的な人もいたから云々」という人がいるとすると、その人はそのいい話をつかって「〜けど」と本来何がしかの材料で判断すべき内容をあっさり片付けてしまいます。これが僕の思うところのいい話による隠蔽効果。エピソディックなものは記憶されやすいし印象に残りやすいから仕方がない面はあります。ある意味これが人間の精神の安全弁にもなっている。ただ、そういった面を乗り越えて理性を少しずつ前に出していっている人間の歴史の中で、そういう隠蔽のされ方を良しとしても良いのか。
たとえば。「あれ絶対おかしいよ。言葉で水の結晶の形が変わるわけ無いじゃん!」に対しての反応として一番良くないのは「いい話なんだからいいじゃん!科学的とか言わないで空気読んでよ!」です。共感を強制されるばかりか思考方法までも強制される。いい話だから。ケータイ小説についての良し悪しならばともかくね。
僕がよく居心地悪い思いをするのは血液型なんちゃら。まあでも積極的には否定しません。害が無いからというよりは自分に害が及びそうだから。生きるために天秤にかけなければならないものはいくらかは有ります。余談ですが、血液型より遥かにパラメーターの多い占いをやっている人は血液型性格占いみたいなものは偽者として糾弾したりし無いんですかね。人間がそんなに単純なわけ無いだろ!せめて366分類ぐらいしろよ!みたいな。