書き手自身、何が不愉快かに気づいていない

「ありがとう」が不愉快ってのは奇妙な感覚だし、言説だと思う。書き手自身、不愉快な場合とそうでない場合があるといっている。とすれば、このことは本質においては言葉の問題ではなく態度の問題か、相手との関係性の問題であり、「ありがとう」はその象徴にすぎない。
不愉快な感触をある言葉に押しつけるのはまあ良いのだけど、そのことに違和感を覚えることを他人に疑問として問うのは思考の手抜きではあるまいか。思考せずにある言葉に感情を代弁させるから、よりその言葉の印象は固着する。
言いたいことはわかる。けれど、常に不愉快ではない意味を少し掘り下げるだけで、言葉に責任はないということがわかるはずなのに。本当に問いたかったのは言葉の問題だったのだろうか。