感性と目線は違う

うまく表現できなそうだし、大した意味があるとも思えないけど、書いてみる。
目線ってのは自分の立つ位置を変えたり、しゃがんでみたり、肩車してもらったり、「上空の〜アナー」とか「見ろ、人がゴミのようだ!」とかで容易に変更可能だし、多分に相対的なものだから、獲得した目線での物言いは、あくまで一時的なものであるし、そこに自分の思考の全てがあると考えるのは危険だ。ましてや感性と混同するのは。
上から目線とか、高い位置とかで、その相対性に優劣の関係性を持たせようと考えるのは、純粋な議論の観点から行くとナンセンスだけど、文脈を理解するときには有益かもしれない。
そういう、文脈的なものを感性としてしいまうのであればそれこそ、その感性は他者には受け入れがたいものになりそうだ。もちろん、感性は人それぞれのものだけど、その、あまりにかけ離れている、思考の過程は理解しがたいものに見えるのではないかな。