差別と本音の危うい関係

本音って「社会的正しさフィルター」を通ってない意見ってことなんだよね。
まとめよう、あつまろう - Togetter

作家とは因果な商売で、人間のアレなところをえぐりだしたりすることで収入を得たりすることもあるわけですね。まあ作家にかぎらずお笑い毒舌キャラとかもね。

でもって、その意見は当然ながら「正しいけど正しくない」ことも多いわけですよね。その状況が容認されたり売り物になったりすることが続くと正しさの感覚は麻痺していって、感情ベースの意見が言えればそれでよいってなってしまったりもするのでしょうね。

んで、こうなるわけですよ。

もはやそこにはロジックなんて成立していない。もういらないんだもんロジック。だからロジカルな反論も耳に入らなくなる。だってキャラなんだもん。こういう人には「これから起こる差別」は理解できない。今ある悲惨な現実(に見える何か)じゃないと感情を喚起しない。自分が引き起こすかもしれない問題は、手遅れになってからじゃないと理解できない。

でもこういう、目に見えるものだけが判断基準って人いっぱいいるんだと思うんですよね。本音こそが最上級の価値観だと思っていたりすると余計に始末が悪い。そういう人が崇めているような人たちが本音を語っているように見せかけて極めて政治的な文脈で発言をしていることに気づかなかったりするからねえ。

差別はいけないって言っている人だって差別的感情は絶対に持ち合わせている。そのことを自覚しているからこそ客観的な思考様式をできるだけ採用したいと思っているんだよな。