DISり芸が愉快だったり不愉快だったりするとき

なんとなく、これは僕個人の基準だけど、わかった。
例えば、同じ枝葉末節を突くにしても、その枝葉末節が文脈的には意味が通るから、単なる揚げ足取りに見えるときと、文脈と独立して議論可能な部分であって、間違いの指摘であるとき。後者って強烈なDISだろうが冷静なツッコミだろうが、間違いを指摘していることには変わらなくて、そこから余分な、つまり、単なる知識の欠如を人格の否定に結びつけるような、DISに発展しなければ、それほど不愉快ではない、ということがわかった。
前者における、いわゆる揚げ足取りは、往々にして議論を中断させるし、厳密に言えばそうかもしれないけどまあいいじゃん、的な部分をそんなに目くじら立てる貴方は一体何者なの、みたいな印象を受けてしまったりしてね。
逆に、議論や主張のもっとも大事なところについて、誤解を招いたり、極度に文脈依存(オーナー社長のつもりで社長って言ってみたりとか)した場合は元々の文章のツッコマビリティが高すぎるから、「確かにwww」とか思っちゃうわけだ。まあ、そのことを愉快と受け取るかどうかは、当事者能力と心の余裕に左右されるから一概には言えないけれども。