クラシックと「場」

これは前書いたんだけど(クラシックコンサート鑑賞論 - novtan別館)、クラシック音楽っていうのはまあ、ちょっと大雑把なくくりなんだけれども、貴族から庶民まで幅広く浸透して今に到るわけで、当然ながら、それ相応の場、というものがあるわけです。

こうなると私のようなタイプの人は、みんな「クラシック教(狂)信者」ということになる。もし「クラシック好きな人ってなんでそこまで厳しくするの?」と不思議に思う方は、その怒りを「俺らがマジメに神さまにお祈りしてるのに、ガサゴソやりやがって!」的に解釈していただければ良い。

なぜ、クラシックのマナーだけが厳しいのか - sekibang 1.0

ってな意見もわかるんだけど、それはあくまでそういう「場」だからだよね。オペレッタなんかをしかめっ面で見ていても仕方がないわけで、いっぱい引っ掛けて楽しむのも一興だし、昔のヴィルトゥオーゾ達はその場での受けを狙うために妙技を披露していたこともあるだろうし、外国のちょっとしたコンサートの映像なんかを読むと客が笑い声を立てて楽しんでいたりする。
だから、クラシック音楽、という一つのカテゴリのコンサートの話じゃなくて、あくまで個別のコンサートの話なんだよねこれは。で、日本のコンサートの形態はフォーマルなものが多すぎて、カジュアルなクラシックファンが足を運ぶには(チケット代も含めて)敷居が高い。これはそのことによって住み分けているからそれでよいのだけれども。
その中でマナーの悪いおじさまおばさま型が存在するのは、日本の上流階級って言うのがちっともなっちゃいない、ということが原因なんだよね、多分。クラシックにたとえ付き合いで来るにしても全力で素養として身に着けなければならないのが上流階級というものなんだけど、所詮にわか階級社会なので伝統に基づいたプライドなんか欠片もなくて無教養をひけらかして喜んでたりするもんね。ああ、話が逸れた。
その一方で、Jazzなんかもわりとシリアスなコンサートがあって、客が身じろぎもしない、ということだってある。それはちゃんとそういう場を作るからであって、別にジャンルの問題ではない。ロックでそうならないのは、そんなロック誰もやりたがらないし聞きたがらないだけだ。
まあ例えばJazzなんかは元々ダンスミュージック(食事のBGMじゃないよ)辺りから出てきたとはいえ、黒人の礼拝音楽的な要素とかもあるから、それこそジャズ狂信者(というより原理主義者?)の人に言わせれば「飲み食いしながら聴くなんてとんでもない!」なのかも知れない。僕らが良くやるような北欧系コンテンポラリージャズなんてソロ後の拍手すら挟み難いことだってある。
様式美を追求するような場面であればあるほど、客側の自由度は減っていくわけだから、その為の場をちゃんと作らなくてはいけないし、そうでないところで同じマナーを求めてはならないと思う。
チケット代の多寡で何事かをいうのであれば、そこで壁を作ってしまうのも一つの手段だと思うんだけどね。前にも書いたけど、上の世界のマナーを犠牲にする必要はなく、下の間口を広げていけばよいし、その広がった下の世界に入ってきて態々文句を言うのは無粋。その辺は上手く住み分けていかないといけないんじゃないかな。