もちろん、言葉は人を殺すけれども

正確には、コミュニケーションは人を殺す。沈黙もまた一つのコミュニケーションであり、人を殺す。すなわち、言葉を発しようが発しまいが、人は死ぬときは死ぬのである。
不特定多数、あるいは匿名のなんとか。そんなものに殺される弱さも人間は内包している。沈黙すら人を殺すのであれば、満遍なく配慮することは不可能だ。だからといって、あえて追い詰めるような言動をする必要はないけれども。ある種の人を殺すのには物理的な凶器は必要ない。そして、言葉の凶器を振り回した人が、罪に問われないとは言え、その言葉の刃は自分に返ってくるだろう。
表現することで原罪を背負うとは考えたくない。言葉に対する畏れは必要だろう。言葉を発することを怖れてはならないと思う。そして、言葉に殺意を込めないようにしたいとも*1

*1:そういう意味では、レトリックとしての殺意の表明は簡単ではないかも