コストの問題?

是非を語るときはコストの問題にしちゃだめで、現実を語る、あるいは変遷を、あるいは将来への道筋を語るときはコストの問題はある側面として提示されていい、そんな風に思っています。

2008年05月09日 mahal 法律 いや、普通にコストの問題でしょ>id:NOV1975氏。無論、コストに対しベネフィットもあって、それが相応と認められる社会なら、死刑など不要かと。ただ、どちらが「優れた社会」かは、知らん。
2008年05月09日 NOV1975 社会 うーん、見方を変えれば精神的見せしめ論にもとれる。/だんだん死刑がコストの問題に見えてきた。社会的にコストが許容されるコンセンサスがとれたら廃止。メディアが阻止中/革命時の反動も凄そう。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20080508/p1

前も何度か書いたんだけど、現実解、というか、社会の変遷の中に確実にコストの問題があって、例えば凶悪犯罪者は安全性に対するコストが高い社会の中ではあっさり殺される。ただそのカウンターパートとして、宗教や道徳があって、基本的人権に到る。人権だってある種の社会的契約だ。全ての人間が崇高に生きるまでのつなぎの思想に過ぎない。無期懲役のコストを許容するのは経済効率性によるものではなくて、その思想側からだろう。
だから、コストの問題に還元されちゃうってのは現実解というか、効率化による解であって、死刑に反対賛成について「人として、社会として」という話をしている最中にそっち向きに落ちて行っちゃうと議論する意味ないよなあ、それレイヤー違うからね、と思っちゃう。
琴子さんが以下のように書かれている通り

ここから先はコスト問題ですね。言い方が悪いですけど……。

2008-05-09 - 泣き言メイン(琴子のセンス・オブ・ワンダーな日々)

そこまで、と、その先、はわけて考えたいんだよね。