同じ肌触りを持つ人たち

一年以上もブログを書いていると、ある程度日常で目にする人、つまり半径何クリックかの人というのが固定化している。もちろん、周辺層では入れ代わりが激しいけど、真ん中辺は大体固定しているような感じ。
で、その中にも関心の方向とか、深さとかは全く違うんだけど、なんというか、同じような物事の捉え方とか、感じ方をしている人が何人かいるのに気付く。それに気付くのは大抵揉め事(必ずしも当人にまつわるものではない)に対する態度とか、思考があらわになったとき。
「ああ、この人は世界に対して同じ感触を持っているんじゃないか」みたいな。でも問題によって意見が全然違うの。ただ、なんでそう思うのかが感覚で理解できる感じ。
ともすれば馴れ合いになりがちなんだろうけど、そういうのをクラスターとすると、僕のいるクラスターは感覚を共有していることをもって全てを許しあう、みたいなのはない気がしている。まあ、おかしいことをおかしいと言えることがその相互理解に依拠した甘えと言われればこれも馴れ合いなんだろうけれども。
例えば、そういう中で異質な考え方をする人を誰かが批判したときに、同方向の批判が一気に吹き出てしまうのは良くないのかもしれないな。
ウェブでの関係は、現実におけるしがらみ的な、仕方ないから意見が合わないけど付き合っているというようなものが出来にくいのかも。そうすると、そういう人に配慮した発言もしなくなるから、必然的に先鋭化したり、容赦なくなったりして。友だちというのは往々にして自分とは全く違う思考回路を持っていて、だから面白い部分もあるよね。だから、その考え方はおかしいと思うけど、友達だから許す(あーわかったはいはい)ってのが成立するのかも。
こういう関係を突き詰めていくと、コメントスクラムに到るのかもね。ある意味ピュアすぎて危険というか。