自分は違う構図を見ているような気がしてきた

増田を読んでたらね。

「かわいそう」vs「しかたない」の争いといったところですかね。
どちらもそこで留まっていては思考停止と呼ぶべきでしょうね。

比較不能だとかそういうことじゃないでしょう 仮に命がすごく大切で地球よ..

ていうかトリアージに賛成するなら後期高齢者医療制度を批判するのはおかしいよね、やってること一緒なんだから

「かわいそう」vs「しかたない」の争いといったところですかね。 どちらも..

もともと、

  1. 「競争に負けたらかわいそう」
  2. それだけじゃ経営学の話にならないことを説明してもわかってくれない
  3. ならば選択を強いる極北の例として、トリアージでわかりやすく解説だ!
  4. 「人権侵害では?」
  5. 「(´・ω・`)ショボーン」

という話だと思うんだけど…。
平時からトリアージを要求しているという話になったのはどこからなんだろうか。平時はトリアージを必要としないから、多少時間やお金がかかっても弱者を無下に切り捨てない社会を実現しようと頑張っているわけで、災害時に札をつけて周ることと一緒にしちゃダメだよね。
先のエントリのブクマで「トリアージは何を解決するのか」って聞かれたけど、個に対する倫理より全体に対する倫理を優先すべし、という緊急時の大命題がまずあるよね。それで、医者個人の倫理観により精神的ダメージを受けたり決断を鈍らせることでかえって救えるものを救えないという状況を避けるということが一つ、もう一つは、その選別において見捨てた人の遺族に、後で「治療されていたら助かったかも知れない」という訴えを起こさせないためのルール。
でも、極限を離れた状態で、資源が限りあるときのトレードオフはそこまでのものを要求しない。とるべき最善の策でなかったとしても、リソースが許すのであれば、全員を救うように努力すればよい。
とはいえ、会社では経営危機が発生するかも知れない。一時金を貰ってあとはシラネという解決策と、リストラしてでも会社を存続させ、残った人を助けようという苦渋の選択の問題を「学問がそう言っているから仕方ない」で納得してしまうのも困りモノかも知れない。
でも、実際にこういった選択を迫られることもあるだろう。そして、その決断はトリアージの必要があるような、社会的に容認される極限状況ではない以上、完全に自分の肩にかかっている問題だ。「かわいそう」という言葉によって言い訳を許さないのであれば、それは経営者に保険金で会社を救えといわんばかりではないか。
実際にそういう局面に立たされることがないことを願っているけれども、そのことに対する思考実験くらいは行っておいた方が良いんじゃないかと思うと、元のエントリがトリアージを持ち出したこと自体はそれほど違和感はなかったんだけど、いつのまにか、「経営にはトリアージの考え方を適用すべき」という架空の言説を批判するような空気になっちゃったように思える。という空気も僕の妄想かも知れないけど。

追記

もちろん、エントリの最初のバージョンに合った女性へのあまり分析的でない偏見に満ちた意見は責められるべきだと思う(当事者に対する感想としては成立するとしても一般化はしちゃいかんだろ)。というより、その点をもって炎上すべきだったのになぜトリアージの話で揉めているのか。何か誘導めいたものを感じなくもない。