思想の悪用可能性

そうか。僕は人間を信じているゆえにと思っていたのだけど、全く逆で、人間を信じていないゆえに、だったのね。
ごく限られた場面でしか適用されないものを、極端なものとして例示することがその概念を広く適用することに繋がるとはどうしても思えないというか、思っては仕方がない、あるいはそこからきちんと距離をとって人間の知性を信じるものがアカデミズムの取るべき態度だと思うので、その観点は否定できないとはいえ、同意も出来ない。
とはいえ、僕はニセ科学による科学の悪用の可能性と、それに踊らされる人々を知っている。思想がそうでないという根拠はない。
大学は、その手の循環から離れた閉じた世界であるとの印象はあるけれども、そこがある種の通過点に過ぎなくなり大衆化してしまっている現状、その中で、毅然とした大学人たる態度が取られることの方が稀なのかも知れない。
多分、そのことを危惧している限り、学問はある程度、反知性的、あるいは、政治的な部分を持たざるを得ない。それではいかんと思うがゆえに、反発があるのだと思うけれども。
知性・理性の先に誤った判断がある可能性。誤った判断とは一体なんなのであろうか。世界の設計者ならない身ではそれはわからず、歴史的に解釈していくしかないのだろうけれども。300年後の世界で、我々全員の思想が嘲笑されている可能性も否定できない。