納得する、ということ…

自分に起こる出来事に対して、はじめから納得できる結果が出る、なんてことはないでしょう。
理想と現実に折り合いをつけることによって、納得できる。そこの折り合いがつかないといつまで経ってももやもやとし続けるのですね。自分に責任がないとき、あるいは自分に責任があると考えたくないとき、納得のハードルは上がります。自分では制御できない部分に委ねなきゃならないからね。といっても、相手に「あいつは極悪だ」とかレッテルを貼って満足する、ということもあります。それはそれで精神的には健全。ただし、言わなきゃ。言っちゃうと相手も黙ってレッテル貼られるわけには行かないもんね。
でも、言ってしまうことはよくありますね。相手の顔が見えなかったり、直接の利害関係がないウェブでは尚更。
泥沼に陥った議論の収束のさせ方でもあるんだけど、もうこうなっちゃったらフェイドアウトする以外にお互いが納得する形での幕引きは出来ないように思えます。どっちもそれなりに立場上正当化するロジックがあって、それは相手の立場から見ると間違っているんだけど、それを言ったら堂々巡りなだけです。
そもそも、余計なことを言わなければ起きなかったりする事態なんだけど、どうしても言いたくなっちゃうことってあるよね、人間だもの。まあ、その辺に寛容になって、誰しも間違いはあるし、考え方の違いもあるよね、で終わればいいんだけど。立場がはっきりすればするほど、その立場を守るために後に引けなくなる、というのは仕方がないのかもしれません。
特に、自分を被害者的な立場に規定すると、何かあると被害者なのにXX的ロジックに帰結してしまい、正常な議論ができなくなったりしますね。そういうの無くなっちゃえばもうちょっと分かり合えると思うんだけどね。社会って難しいな。