議論のお作法とは離れて

どんなに色々な部分に了解があっても、何について話しているか明らかでない議論なんてろくなことにならない、というのはそれこそ僕のエントリの中にもごろごろ転がっています。個人的に残念度が高い議論というのは話のネタが高度な専門性を有しているわりに、その専門性がさっぱり本題と関係なかったりするようなものですね。
明確にディベートだと銘打った議論でもない限り、議論に勝ち負けなんて必要ないというのは以前から何度か書いています。そういえば、ネットでディベートだと言い張る議論空間にはじめから約束された第三者的審判がいることは滅多にないのは何故だろう。屁理屈をこねる言い訳にされてない?ディベートって言葉が。

そこまで知っていつつも、なんだかんだで議論に勝とうとしてしまう人が多いと思います。(特に頭が良くて議論に強い皆様)
それは「議論は勝ち負けではない」というのが抽象的な提言で、具体的な行為を示していないのが原因ではないかと。
つまり、「勝ち負けではない」というのはどういうことか、が、分かりにくいのです。
それで僕は「意見を撤回する」というのをオススメしたいと思います。

意見を撤回すること:しっぽのブログ

このオススメは良くわかる。わかるんだけど、意見を撤回する、というのは結構難しいんじゃないかな。最初から議論だったら別に良いんですよ。多分、なんらかの事象に対して、自分なりの理屈をつけるところがスタート地点であるから、「理論が間違っていた」で済むからね。でも、「自分の感じたこと」そのものに対する否定などが議論のきっかけだったりすると、それを撤回しようがありません。何かについて「楽しかった・悲しかった」と思ったことそのものを撤回するってのはどういうこと?
例えば、「あの映画見てきた〜楽しかった〜」⇒「その裏で飢えに苦しんでいるアフリカの子供達のことを考えろ!このノー天気!」みたいなものはすでにして議論ではありえない、難癖だと思います。もちろん、そういう視点を導入して物事を考えることはよいことだと思うのですが、喜びを感じることとは切り離して考えたいですよね。
この手の命題否定的な議論は撤回することによって自分の感受性を否定することにもなりかねないので心理的な抵抗は強そうです。

そしてもっと大切なのは、他人が意見を撤回することを阻んだり、卑下してはいけないということです。
(特に、もう撤回された意見に対する文句はやめましょう。)
自分の意見の撤回も、他人の意見の撤回も、
議論の成果として大切にしましょう。

意見を撤回すること:しっぽのブログ

最近ちょっと思うのは、理論の間違いを指摘するのではなくて、こっちの理論を理解できないのはバカだ、というような議論の仕方をすることがあるなあ、ということです。その場合、自分の理論を撤回するということは、相手の理論を理解できなかったバカだということを認めることになってしまいますよね。相手の理論を理解することには、議論の過程で、その考え方の差異とか誤謬みたいなものが煮詰まって、結果としてわかる、という面があると思います。が、一足飛びに「俺は正しい。正しい考えが理解できないのはバカ」みたいになってしまうと自分の意見を破棄することへの心理的抵抗が逆に強まります。そして、議論は泥沼に。
もちろん、十分に説明した挙句の話である、ということはあります。でも、そういうときの説明ってのは相手側の視点には全く配慮がなかったりします。「お前は全否定。なぜなら俺が正しいからだ。その理由は…」ってのも心理的抵抗を上げますよね。
これがせめて「お前の言いたいことはこの点ではわかる。しかし、それは間違っている。なぜなら…」であれば、視点に差異があった、という議論を先に進めるべきポイントが解消できたりもしますし、無駄にプライドも傷つきません。何しろ別の視点から見ると正しい相手も正しい意見だったりするんですから、視点が交差しないままで議論したら撤回が勝ち負けに直結してしまいます。


ところで、議論というのは筋が通っているべきものですけれども、人の意見というのは必ずしも1から10まできちんと筋の通った説明が出来ないものがよくあります。それは物事に対して多面的な見方をしていることによって、視点が一定しない、というのが原因かもしれません。よくダブスタ扱いされるのはウエイトの置き方(悪い例で言うと、他人に厳しく自分に甘い)的なものがあからさまになっている場合ですね。これだって視点の向きを修正するとまともな議論になったりしそうですね。


さて、議論のお作法としては、きちんと筋が通っていることは必要です。けれども、意見を言い合っているような局面では、まだ全然理論として構築されていないことを双方が言い合っている、ということは良くあります。これを議論と捉えてしまうとその時点で何かしらの決着が期待されてしまいます。そうじゃなくて、お互いの言いたい根本のところがはっきりするまでブレインストーミング的に意見を垂れ流す、というプレ議論的なものがあってもいいんじゃないかな(というより、大抵のウェブでの議論はこれかな)と思うんですよね。理屈が論理的に正しい、ということが実際の適用場面でも正しいかどうかなんてわからない(大抵は抽象化されていることによってパラメータが少ないから、その見えないパラメータによって理論とは違う動きをする)のですしね。