いくらなんでもマリファナ肯定論はないと思うけど

マリファナ緑内障に対する薬効とか、依存性がタバコより少ないとか、そういう肯定論とは別のところで、「誰にも迷惑かけないからいいじゃん」的な肯定論があるのはちょっとどうなのかな、と思うなあ。
ハッピー系の作用があるドラッグなんてのを認めすぎると、廃人になるまでエスカレートするのはある程度見えていて、それは歴史に学んでいるわけじゃない。だから、ある程度、恣意的かもしれないけど線を引いていて、お酒はOKだけどマリファナ以降はダメよ、と。別に犯罪を作り出すために犯罪として定義しているわけじゃないと思うんだよね。
別に大麻くらいいいじゃんと思うメンタリティーは、そのいいじゃん的発想によって、必要なものとしてはめられた箍を簡単に外しにかかりそうで僕は怖いな。社会なんてどうなってもいい、一人一人が(脳内ハッピー物質の分泌による化学的な)幸せに浸れればいいじゃない、と言っているようにも思えて、人間が築き上げてきた色々な大切なものをわやにしちゃっているんじゃないかとも。
人の精神の脆弱さを認めるがゆえに、規範があるんだと思うんだよね。どこで線を引くか、の問題でもあるから、マリファナが合法な社会があってもよいとは思う。だけど、どこかに線はあって、それを守れない、ということは社会を構成する意思がない、という宣言だとも思う。もちろん、社会から全く何も還元されないで生きていく、という態度はありなんだろうし、それを許さない現代社会、というのはどうかと思いつつ、それを認めるにはある種の隔離が必要なんだろうとも思う。