医療の正しさを法律家が本当にジャッジできるのかしら

たまに観測範囲に入ってきたから非リンクこっそり言及したらばっちり言及されるというのはどうもねw
さて、医療事故の調査委員会において医師はクリープに過ぎず、法律家こそコーヒーだとおっしゃる弁護士の方のたまわく

鑑定などにより専門家の助けを得つつであれば,法律家は,医療のことを含むほとんどの事象について,事実を認定し,そこに法を適切に当てはめることが出来ます。

法律家は医療のことを理解して何が正しいかをジャッジすることが出来る: la_causette

だそうです。そりゃあ「助けを得つつであれば」できますよね。なんか隠蔽の話とかしてなかったっけ。まあいいや。
で、法を適切に当てはめる、というのもちょっと言いすぎな気がして、例えばここで「違法性があるという認識」がされて初めて裁判になり、裁判での審議の上で初めて法律上の解釈が確定するわけですよね。
僕は

じゃあ法律家が医療のことを理解して何が正しいかをジャッジすることが出来るかというとそうでもないと思うけど。
協力すればよいのに主導権争いをするとかいうのはなんの意味もない。お互いの専門的見地からものを言えばよいだけだよね。

専門家のことは専門家で? - novtan別館

ということを述べたのに、先の一文だけ取り出されて言われてもね。協力すれば、というところを普通に読めば、結局、根本はおんなじ見解を述べているだけにも思えます。でも、法律家に主導権を渡してないことで批判されているのかな?バカバカしい。
こういう恣意的な抜き出しで批判しようっていうのが法律家マインドだとすると、医療事故の本質とは関係ない、別のミスを見つけて、そもそもの議題は問題ないけど、その他の(結果として患者の不利益になっていない)部分が問題だ、とか言い出して無駄な時間が費やされそうです。

そもそも、法律家が何をもって正しいか、というと、法律を持って、であって、もちろんそれは一つの規範として社会に存在し、我々はそれを守らなければならないわけですが、一方でボーダーラインの部分の曖昧さなどは運用の際のモラルに任されている部分であるわけです。もっというと、医学的に正しいことが何か、というのは必ずしも法律を紐解けば出てくるものではありませんよね。先日の事件では「教科書」を根拠に罪を問うような話になりましたが、現場の実運用とは異なっていたわけで。
医者が医療の常識に照らして正しいことを行っているかどうかがまず問われるべきで、その後に、じゃあその行為が正しくなかったときに法律に照らしてどうなのか、という話になるのかな。でもそれだと正しくなく、違法性がないというのと正しくても違法性があるというのが出てきちゃう?

まあ、前半の議論は「法律家の役割」という点では異論は無いのですが。主役たらんとする必然性はありませんけど。
しかしねえ、それなりの見地を持った発言がまたしても台無しに。

また,医師に批判的な人が点滴を受けた際に,まるで点滴液の中に雑巾の絞り汁を混ぜたかのような大量の雑菌が混入しており,その結果その患者が感染症で死亡してしまったというような場合にも,不問にされる虞が高そうです。まさに,「命が惜しかったら,一か八か医師の診療の受けなければ確実に死ぬという場合以外は,医師による診療を受けてはいけない」という未来を望むのでなければ,そのようないびつなシステムは作るべきでないと言えそうです。

法律家は医療のことを理解して何が正しいかをジャッジすることが出来る: la_causette

なんで

  • 医師に批判的な人が点滴を受けた際に
  • 不問にされる虞が高そうです

なんてことを言うのかなあ。あれなの?弁護士って弁護士を普段非難している人が依頼してきたら手抜きとかわざと負けるように仕事したりするわけ?
別に法律家が特別な存在であるのは試験を受かったことによりある一定レベルの記憶力と論理的思考能力を少なくとも「試験通過時」には保持していたことを国家が保証する、程度のことに過ぎなし、それを言ったら医師も同様なんだけどね。法律家が「俺は正義」とか思っていたら気持ち悪くて困っちゃう。