陰謀論とトンデモの親和力

いやあ、なんというか、もはや陰謀論というのは世界の謎を都合のいいように説明するツールから一皮剥けて、ギャグの域にまで到達しているんですね。その種の陰謀論には一片の真実は潜んでいそうではありますが、あいまいな状況証拠をもって陰謀の理論を打ち立てるというのは科学の世界では単なる仮説でしかなく、仮説というのは客観的エビデンスを持ってのみ科学になりうるわけです(もちろん、仮説そのものの科学的思考から見た妥当性というのは常に問われるべきだし、そのことにより科学的な仮説というものはあるわけですが)。

以前から「心に青雲」をウォッチしていた私としては、「無名なころから応援していた野球選手がタイトルを獲得した」とか、「新人のころから注目していた漫画家がヒット作を書いた」とか、そんな気分。実はまったく無名だったというわけではなく、「コレクターの狂気」というエントリーで80ブクマぐらい集めた。

2008-10-11

ここで紹介されているブログには陰謀論が沢山出てくる。陰謀論って簡単なんだよね。

  • ある事件・事象が生じる
  • 何か当事者にとって不都合な点(事件と関係なくてよい)を探す
  • その不都合な点を改善するために少しでも事件が影響するロジックをひねり出す
  • 「XはAをBしちゃうことで利益が得られる!陰謀だ!」

実際にその後に不都合な点が(もちろん他の要因や偶然で、だが)改善しちゃっていると尚よし!
もっともらしいことと真実の間に横たわる溝は限りなくでかいんだけど、マクロ視点から見ると同一に見えちゃうことがあるんですよね。「XXによって説明できる」ということは「XXが真実である」ということを必ずしも示さない。その次のステップがないものがトンデモであり、陰謀論であるんですよね。
逆の例かもしれないけど、ムペンバ効果。そのときもいろんな人が実験して、現象を確認しつつ、色々な理論をひねり出していたけど、どの説明が正しいのかは未だ確定していない。現象があることだけは事実として認められている(その中には、やり方がマズイせいで起きている、という見方ももちろんある)。つまり現象があるからといって説明が正しいことにもならない。陰謀論で言うと、事実の提示部分は実際に起きたことであっても、それが起きた背景が正しいとはいえないわけだ。
金融・経済の世界なんてのも全部「こうなるだろう」っていう理論で商品が成り立っているけれども今の状態のように、その想像の枠を超えた事態が起きるととたんに崩壊するわけだ。これはパラメータが多すぎてその理論が世界の一部を切り出しただけのものに過ぎないからかもしれない。
陰謀論とかトンデモは本来ミクロとマクロで見えるものが違うことに対して、あえてピントをずらして説明し、本来ありうるべき視点からの検証を避けるようなものなのかもしれん。
余談。前から言っているけど、単なる発想の飛躍で科学的視点、検証の意欲を失わない善きトンデモと、発想を飛躍させることで説明できたことそのものに満足しているトンデモを混同すべきではないと思う。善きトンデモには幸あれ。悪しきトンデモすなわちニセ科学はそれで商売するなよ。