わざわざ書くまでもないですが僕は医療系ブロガーではないですね

もうさ、絶対収入のことしか頭にないのはおかしいっていろんな人に言われているのに絶対そこには言及しないのね。つまり、ある一定の年収を得ているものは非人間的な仕事をするのは当然である、ということかな。労働基準法とかどうでもいいって考えは法曹としてはどうなんだろうね。
給料を水準以上貰っている人は労働基準法に抵触していようが収入だけに満足して頑張れ、と。

そういう次元の話で言えば,都立病院における医師の処遇は,医師という職業に就くまでに投下した時間,費用,努力に見合うだけの収入の増加分は,きちんと提供しているわけで,本来それが優秀な人材から回避される要素となるものではありません

QOLの向上に資する所得水準の上昇と,単にプライドをくすぐるだけの所得水準の上昇: la_causette

金が十分だから非人間的な仕事でも人が集まるよね〜みたいな。年俸1億で傭兵募集みたいな。死亡率50%とかね。
処遇ってのは単純にお金で計れるものではないのですけれども、もしかして、命の危険を感じるようなきつい仕事を体験したことがないとか?月労働時間300超で手取りが倍になったとき思ったのは、収入倍増テラウマスwwwではなく、これ半年続けたら死ぬな、だったんだけど、そういうものだよね?
さて、小倉先生の提示した数字にはすでに多くのツッコミが入っているのですが金額の多寡を問題にするつもりはないので措きます。ようは世の中一般の相場より医者は給料が高いのに崩壊が起こっていることを問題にしているのに、開業医が楽で高収入だから勤務医が開業医になるみたいな話に転化されちゃっているのが問題なので。

年平均1200万円という俸給が提供されているのに,「個人としての権利をすべて捨て」ているのと同然だみたいな言い方をされても,何か違う世界の話をされているような気がします(NOVTANさんは,麻生首相や鳩山総務大臣とは話の感覚が合うかもしれません。ただ,多くの国民にとって,1200万円というのはゼロにも等しい端金には映りません。)。

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5000万やるからお前は今日から俺の奴隷な、と言われて5000万もらえるならいいです、という人はいるかもしれないけどね。そういうことじゃないでしょ。いくら貰おうが非人間的な生活を強要されるのであれば、いかに俸給が十分であっても辞める人はいるよねって話ですよ。なんで俸給が十分だったらほかの事は我慢しなければならない、というロジックが成り立つんだろうか。違う言い方をすれば、なぜそこで選択することが許されないのかってことですよ。

さらにいうと,年収300万円から400万円に,年収400万円から500万円に上昇すると,生活レベルの向上を実感しますが,あるレベルまで行くと,所得の上昇は,生活レベルを向上させるものではなくなり,いわば記号論的な意味合いが強くなっていきます。都立病院の医師の平均年収を従来の1200万円程度から開業医並みの2700万円に上昇させるとなると,都立病院の医師の定員の総計は約850人とのことですから,130億円程度の公的資金が都立病院の医師の給与に使われることになりますが,それは,その支出に見合うだけの生活レベルの向上をもたらしません。特殊な例をのぞき,所詮は,都立病院の医師のプライドなり優越感なりを満たすという程度の効用しか生みません。

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プライドも優越感もいらなければ、どうせ生活レベルも変わらないんだから、そんな給料要らないわけでしょ。それよりも仕事を楽にしたほうが生活レベルが向上します。

しかし,この資金が,例えば,その過半数が年収300万円以下である介護福祉士に一人100万円ずつ配分されれば,約1万3000人の介護福祉士の生活レベルを向上させることができます。

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この発想があるなら130億円で1200万の年収の医者を1062人増やすということも考えられると思うのですけれどもね。とりあえず皮算用を批判する人が財源の無いお金の話をすることにどういう意味があるのか。

医療系ブロガー・コメンテーターとの対話を通じて確信したことは,結局のところ,「医療崩壊」の中核をなす「勤務医不足」の最大の原因は,開業医の所得水準が開業医に甘い保険点数の設定,ならびに,医師会のロビー活動により実現した医学部の定員削減にあるということです。

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どこの誰と対話した結論なんでしょうか。まさか印象論じゃないですよね?僕の観測範囲の医療系ブロガーの人がなぜ「勤務医から逃げ出して」開業医になったか、という話を読むととてもそんな結論には達せませんので、別のどこかの話なんでしょうねえ。実際に開業医に甘い部分もあると思いますし、医学部の定員削減も問題だったという結果論はあります。ありますけれども、それが現在の医療崩壊の原因だといったところで太平洋戦争の原因はどうのこうのと言っているのと変わりなく、現実の問題の助けにはなりません。勤務医が大変な状況を甘い汁を吸っている一部の開業医のせいだから、先人が悪いんだから、我慢しろっていっても仕方ないじゃないですか。こんなことを結論付けたからといって何にもならない。

「開業医に大きく水をあけられている」という記号論的な不満から「逃散」していく勤務医は後を絶たないのでしょう。

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結局のところ、医療系ブロガーの方の訴えを何にも読んでなかった、ということなんでしょうねこれは。「逃散」ってのはイコール儲けるために開業する、ではないですよ。廃業される方もおりますし、閑古鳥覚悟で細々とやっておられるからもいらっしゃるわけで。

そして,医師は医療ミスでいくら患者を死なせても構わないとする法制度を制定したところで

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また悪意のある書き方ですね。結局のところ、こういう書き方をされるからまともな対話にならないんですよ。

患者の生命の安全に配慮するための投資を不要とすることにより直接可処分所得が上昇するのは勤務医ではなく開業医ですから,むしろ,勤務医と開業医との間の所得格差を拡大させ,勤務医不足に拍車を掛けることになるのでしょう。

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小倉先生は医師という物は医療ミスに対する厳罰がないと職業に対して責任を持ち得ない、とお考えのようです。医者に限らず、全ての社会人に対する侮辱に近いですよね、これは。