示威行為として歩くこと

デモってさ、目的は、こういう主張があるんだよ、聞いてよ、共感してよっていう話じゃなくてさ、それを最終的には民主主義の手続きに則った何かで実力行使するよ、というある意味での示威行為なわけだよね。例えば、選挙で政権政党に投票しないぜ!みたいな。まあ、そのレベルであれば穏便な話ではあるんだけど、デモをすること自体が本来の目的から離れてしまう危険性は常に含有している。人間、個人個人ではやらないようなことでも集団になると変わってきてしまって、ついつい暴走してしまったりするわけですな。大げさに言うと、集団で何かの示威行為を行うということ自体が暴走の可能性を秘めているから規制されたりするんだよね。
集団が首相の家見学ツアーにいく、というのは場合によっては全く政治性を持たないことだってあるだろう。友達同士とか。逆に、少しでも政治的な要素、つまり、なんらかの示威行為を行おうという意図を持っている場合、もちろん他人に危害を加えるつもりなど毛頭ないにしても、デモの指導者は集団としての性質を自覚して動く必要があるはず。
政治性があるないの区別は客観的に見ることは難しいんだけど、少なくとも当事者はわかっているはず。その当事者が「ただ歩いているだけ」という言い訳をしてしまうのは、どうも
「お宅の息子さん可愛いねえ」
「(くっ…卑怯な…)」
というやりとりと同じような臭いを感じてしまうのだよね。
まあ実際のところどういう意図があったかはしらないけれど、ただ歩くことにもなんらかの責任が生じるシチュエーションというのがあるよ、ということにはもうちょっと自覚的になるべきだと思うんだよね。
じゃなくて、問題視されることも含めてパフォーマンスだったのかな?