社会に手間をかけさせるとろくなことにならない

あんまりくだらないことで社会に手間をかけさせると、くだらないルールが出来て、いろいろなものが抑制される。ウェブが校則の厳しい学校のようになってしまうとしたら、それは自制が出来ない利用者自身の責任である。そこで声高になんとかの自由を叫ぶことに意味なんてない。社会は制限することでしか紛争を解決できない。

俺とあんたは歩み寄ることなく罵りあいながら、社会が何かの結論を出せばいいのだ。

http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20090417/p1

id:buyobuyo氏の表現については以前のエントリで書いたように、差別意識の表出だとは全然思わないんだけど、ネットでむやみやたらと罵りあうことは態度として開き直りすぎだ(罵倒がいかんとは言わないが、程度というものはある)し、社会に結論を出してもらおうだなんて考えは冒頭に書いたとおり、勘弁して欲しいと思う。
なんだか肩書き紛争とかで訴えるだどっちもどっちだと息巻いている向きもあるけど、ああいうのは表現っちゅうより中身の悪質性の問題だからきっちり答えを出したところでそれほど影響はないと思うんだけどね。
認めない、で紛争になって社会に結論を委ねるんなら、もっと簡単で既存にあるような、たとえばリアルに殴りあいでもして「口論の結果」とか新聞に書かれちゃってくれたほうがよいな。
もし、社会に出させたい結論というのは喧嘩の始末の話じゃなくて最終的にどっちの意見が正しかったかという結果の話だったらすまん。