忌野清志郎の死と空気を読まない非喫煙者の話

僕は忌野清志郎さんの曲をがっつり聞いたことがないので、彼のロック界に果たした役割とかは語れないけど、時たま耳にする彼の楽曲は僕にとっては心地よいものでありました(心地よくてよいのか、という疑問はあるw)。ご冥福をお祈りします。

さて。

忌野清志郎さんが嫌いな人も居るのかも知れない。そして、その人が非喫煙者という可能性も高いだろう。かといって、これはないんじゃないか?
訃報をねこそぎ探したからには、どれだけ彼を特別に思っている人が多いのか、悲嘆にくれている人が多いかはわかっていて、全部に「喫煙者乙」とタグつけて回ったんだろう。

なんで非喫煙者は空気が読めないんだろうねぇ:訃報のはてブで思った

まず一つ言っておくと、たいていの非喫煙者は喫煙そのものを嫌うことはあれど、喫煙者が死んでざまーみろとは思いませんな、多分。もちろん、「たばこなんて吸うからだよ」と思うことはあれど。このタグをつけた人の気持ちはわからないでもないけど、この行為は確かにKY過ぎると思う。人の訃報に際してそのような行為を行うことはまあ、人品の問題かもしれん。
でも、それをもって「非喫煙者は空気を読めない」なんて汎化しやがる増田も増田であるな。
しかもそれを別の事例境界で強化しようとしている。もっとも、後段で示されるその事例は単にKYな人がいた、というだけのことを示しているに過ぎないけれども。

嫌煙者が喫煙者に対して主張すると、反論を受ける事が無い。もしかして、タバコについてだけは無条件に拒否してもいいとおもっていたのかもしれない。
実際、倫理的に、タバコを無条件に拒否していけない場所はないはずだ。
ただ、そういう事じゃなくて、死者に対しての敬意・クライアントを大切に扱う、などの常識を覆すのはやめてくれ。喫煙者としては文句が言えないので本当に困るんだ。

必ず反論が通るなどという一方的な構図が存在するのであれば、非喫煙者も苦労はしない。こういい切れてしまう増田はよっぽど道理が通る界隈に生息しているのであろう。これは幸せなことだ。
実際、倫理的には病気の大きな原因の一つであるタバコの煙を嫌いな人に吸わせてはならないというのは大きな命題であり、それが無条件に通用するということは、とてもモラルが高いということだろう。もちろん、ここでの新卒の発言が空気を読んでないのは確かなんだけど。
死者を悼む場で場違いの喫煙批判をするのも空気嫁な感じだが、それにかこつけて喫煙擁護するのも十分に空気嫁