肯定表現では伝わりづらいもの

否定表現そのものはネガティブなものではなく、肯定表現と伝わりやすい表現が異なるだけのように思えるな。

そしてその注意の仕方で「!」と感じたのです。具体的には、「水溜まりに入っちゃ駄目!」とは言うのですが、「水溜まりの横を歩いて!」とは言わないのです。「水溜まりに入らないようにしなきゃ駄目」とも言いました。普通の日本語であり違和感はないのですが、よくよく考えると相当に難易度の高い指示であると感じます。

株式会社マジカジャパンの羽生章洋が書いてるブログ:否定表現に溢れる日常 - livedoor Blog(ブログ)

水溜りの横を歩いて、という指示(これは命令ですよね)には言葉としては理由は内包されていない。水溜りに入ってはならないのかどうかは表現されていない。目的は水に濡れ「ない」ようにしなければならないであり、乾いたところをあるかなければならないであるわけだから、「水溜りの横を歩く」というのはアドホックな対応の一例を示したに過ぎず、それを汎化するだけの十分な思考能力が無い限りその場限りで終わってしまうよね。
入っちゃダメ、禁止の指示ですが、対象が明確であり、理由は推測しやすいです。入らないようにしなければダメ、というのはよりその意図を明確にしている。両方を言うことで精度をましているんだよな。

同様に私どもの仕事においても、例えば「バグを出すな」とは言われますが、では「このようにして」と具体的に明示されることは意外とないように感じます。つまり問題の指摘をしてそれをするなという否定表現は容易なのですが、何を持って正解とするのかを明示するというのは咄嗟には難しいということなのかもしれません。

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目的を指示するのは客、手段を提供するのが仕事人、なのでは?このようにして、を明示していくのは作る側の提案事項なんじゃないでしょうか。
問題の指摘じゃないよね。禁止事項は否定的な表現であらわしたほうがはっきりするだけ。とはいえ、バグが無い、というのは目的そのものではなくて、仕様どおりであるということの否定表現ではあるのですが、仕様どおりであるってどういうこと、と言われると(仕様そのもののバグも広い意味では含めた上で)バグが無いこと、というのが単純な表現になるだけではないかなあ。