自衛を説くことは有害とか、ポジショントーク過ぎだろ

被害者の精神衛生のためなら次に被害者が出る可能性を高めることもいとわない!くらいの勢いを感じてしまうわけですが、もちろん、そんなつもりではないですよね。

「自衛を説くのが無意味だとおもわない」という人は、舗道、職場、学校、塾、家、教会、公園、ペッパーランチの店内などでいきなり誰かに襲われても、絶対に無傷(襲われてる時点で無傷じゃないから無理なはなしだけれど)でいられる方法とか、もしくは性犯罪者を事前に見分ける方法、性犯罪者と出会わないようにする方法をおしえてください。

http://d.hatena.ne.jp/Francesco3/20091228/1261990969

治安の悪いところを一人で歩かない、というのは外国旅行に行くときの基本ですよね。これは、別に性犯罪者に出会うことのみを避けるためではない。強盗、殺人、その他もろもろの犯罪を避けるためでもある。日本が相対的に平和だからって、「舗道、職場、学校、塾、家、教会、公園、ペッパーランチの店内などでいきなり誰かに襲われ」ないわけではない以上、少しでもその可能性を減らせるのであれば、それは無意味ではない。はっきり言って「自衛は無意味」だと極論です。
自衛論が決定的にダメなものになるのは、それが「自衛しなかったから悪い」になってしまうときであり、個別具体的な事例の結果論として自衛云々言うのは被害者を傷つける。じゃあ、被害者が傷つくから自衛を語るのは止めましょうってのはそりゃあ本末転倒でしょう。外国で拉致被害にあった人が傷つくのは可哀想だから、あの国は安全なんです、渡航制限をはずしましょうなんていう人いないでしょ。
被害者の精神衛生と、これから被害に合う人を減らすのでは前者のほうが大事だ、とでもいうのでしょうか。未来の被害者を傷つけることを心配する暇があったら被害者そのものを減らすことを考えるべきでしょ。もちろん、前者をおろそかにしろなんて言いませんよ。自衛をしなかったのが悪い、性犯罪被害は自己責任、なんて想像力のない暴論に過ぎない。

ウェブで不特定多数の被害者を傷つけないための配慮のがよほど重要だとおもうんだけれども、なぜかそっちにはぜんぜん興味ないみたいで、そこからおのずと透けてみえるものがありますよね。

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「自衛を説くのは無意味」なんてのは安全に配慮しないで出歩きたくない、自由でありたい(何からだ?)という思いが透けて見える気がするのですが、邪推ですか?

NOV1975 ブックマークを削除する コメントを編集する 社会 単に可能性を下げる話に結果論を持ち込んだらどうにもならんだろ。/酒を飲んだら危ないから車に乗るな⇒対向車線の車が飲んでるかもしれないから無駄です、的。
id:fjsk id:NOV1975氏 そう、結果論を持ち込んで「自衛しなかったこと」を攻める構図がある事が根本原因ですよね。

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もちろん。だから、「自衛しなかったこと」を責める構図は社会の問題としてなくすことを訴えるべきだ、という主張であれば何も反論すべきことはない。

Francesco3 性, 犯罪 悪意の有無は関係ない。善意でも二次加害になりうる/飲酒運転?性犯罪被害者は犯罪者じゃないんですけど。

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無理筋の議論だ、というだけで、犯罪者に例えているわけではありませんよ、もちろん。どんなに安全確認をしても避けようのない事故はあり、だからといって安全確認をすることが無意味であるとは誰も思わない。もしかしたら、状況的にほぼ100%相手が悪い事故であってもこちら側に責任を問われることがある日本の責任観が「自衛しなかったのが悪い」的発想に繋がるのかもしれないけど、責任はその取り方とセットで考えないと意味がない以上、性犯罪者の被害者に責任の有無を問うこと自体ほとんど意味のないことなのでその点で混同させるような例えはまずかったかもしれないけど。