正論にエビデンスはいらない

すげえ。

特にこの問題は、子どもの権利条約とか人権とかやってるわけですよね。先進国、ほか
の国はちゃんとそれにならって、子どもの人権とか権利とかいろいろなものに配慮して、
法規制や条例とかがある現実の中で、日本だけがそういうことに配慮しすぎて進めないと
いうのはすごく不思議なので、細かい議論も大事なんですが、そういう団体の方たちに対
する説明とか調査データもそうなんですが、極論を言うと、示す必要もないくらい当たり
前、正論でガンと言っていいのではないかなと、そのくらい強く私は思います。

第28期東京都青少年問題協議会 第8回専門部会(PDF)

これは第28期東京都青少年問題協議会第8回専門部会における新谷珠恵氏の発言だが。そもそも前段で「漫画と文学はまったく違う」くらいのことを言い放っての発言だから尚更だけど、その後での大葉ナナコ氏なんてこれである。

例えば児童に対する児童ポルノの愛好者の人たちが児童に悪影響を与えるとか、漫画の
ひどいものが出ているといったら、その人たちはある障害を持っているんだというような
認識を主流化していくことはできないものかというのを、お話を聞いていて思いました。
漫画家の方たちがすごい議論を持ってきて、何とか法制化するという人たちに対して攻
撃をするということだったんですけれども、どう考えても暴力で、エビデンスを出す時間
もない、必要もないぐらい暴力ですね。

第28期東京都青少年問題協議会 第8回専門部会(PDF)

おいおい、差別主義者の会合かコレは?
もっとも、当の児童ポルノ愛好家(あるいはその擁護者)の側が「もって生まれた性癖なんだしょうがないんだ児童ポルノがなくなったら性犯罪を犯してしまうんだ」的な発言をすることも散見されるので、似たようなものか。障害認定しても差別しなきゃいいんだもんね!*1
にしても、これらのこっちの正論はエビデンスを出す必要のない絶対正義!相手の正論は暴力!みたいな確信はどこから生まれるんだろうか。そして、自分の(自覚がない)攻撃的な発言がなぜ許されているかわかっているのだろうか。仮に20年後、児童ポルノは合法です、みたいな状況になっていて、児童ポルノ反対の声を上げたら弾圧される、という状況になっていたとして、「正論でガツンと言われたからしょうがない」ってあきらめるんだろうか。
押し付けるだけの正論は暴力。漫画家の議論が暴力だと言っているその口が同じ種類の暴力を発しているような、そんな人たちが何かを決めようとするのって素晴らしい民主主義ですね。
規制の是非はともかく(今の状態がいいとはあまり思ってないし)、このような議論が政治行政の場で正論として交わされている現実に恐怖を感じるわ。

参考:非実在青少年関係 「青少年育成条例改正? ふーん、いいんじゃない?」 と言う人へ:ヘボログ:So-netブログ

*1:どうみても差別する気満々に見えるけどね。それとも異常性癖者にみな障害者手帳でも出すつもりだろうか。他人の性癖なんて自分基準で考えるとほとんど異常だと思うが。